苦難の時代と晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 01:43 UTC 版)
多くの収入を得て恵まれていたように見えるが、アメリカでの生活は里きにとって決して順風満帆とはいかなかった。時には病気で倒れ、職業もビリヤードショップや喫茶店、農場の経営、メイド、生命保険の勧誘など、転々としていた。南加三重県人会によれば、サンフランシスコで助産師の認可を得て、日本人助産師第1号となったようである。 更に時代は日本人の排斥に向かっていた。サンフランシスコを中心に日本人排斥運動が起こり、1908年(明治41年)に入国禁止令、1913年(大正2年)にカリフォルニア州外国人土地法(排日土地法)、1924年(大正13年)に一切の入国を拒絶する決議がなされ、日本人は追い詰められた。そして第二次世界大戦中は収容所に入れられてしまう。この際、在米日本人に関する記録が処分されてしまったため、里きのアメリカでの生活の詳細は分からない。 こうした苦難に遭っても里きはアメリカに留まり続け、1950年(昭和25年)3月14日、サンタバーバラ郡サンタマリアで亡くなる。墓所はセントラル墓地にある。
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