地方三部会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 05:24 UTC 版)
地方三部会(états provinciaux)は地方の公領、伯領が王権に組み込まれた際に地方の慣習や法令そして身分制議会の存続が認められて14世紀に成立した。ラングドック、ノルマンディー、ブルゴーニュ、ブルターニュ、プロヴァンス、ドーフィネなどが強力で、ピレネー渓谷の十数の小さな州も地方三部会を有していた。これらの州をペイ・デタ(pays d'etats)と呼び、このうちラングドック三部会は最も広い領域を管轄し、独自に王税を配分・徴収する特権を有していた。 地方三部会は国王によって招集され、国王の特任官や州総督が司会して租税の票決や減額交渉を行い、王税の徴収にあたった。また、地方慣習法の編纂に関する諮問的機能も有していた。 16世紀には王国の三分の一の地域に存続していたが、王権の進展とともに税制が統一されて地方三部会は役割を失い徐々に消滅していった。リシュリュー宰相の時代に大法官ミシェル・ド・マリヤックらが地方特権の排除に動きドフィネとプロヴァンスの三部会が事実上消滅した。ルイ14世の時代にはその他の地方の三部会の権限が弱められた。地方三部会は衰退してはいたが、ラングドック、ブルゴーニュ、ブルターニュなどでは1789年の時点まで存続していた。フランス革命直前期の財務総監ブリエンヌは平民の力を利用して、免税特権に固執して新税の導入に抵抗する聖職者・貴族階層に圧力をかけるべく、各地の地方三部会を復活させている。新しい三部会は第三身分の定数を倍増させ、採決も身分別に一票ではなく、個人票にするなど進歩的なものだった。
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