前史〜生産研とは? わかりやすく解説

前史〜生産研

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:48 UTC 版)

宇宙科学研究所」の記事における「前史〜生産研」の解説

ここでは、1955年の航空技術研究所(のちの航空宇宙技術研究所)の設置のころまでを前史とする。 列強に遅れながらも、ロケットを含むジェット推進研究日本でも行われ、数種の「噴進砲」が実用化され、試験飛行ではあったが「秋水」という例もあった。しかし、宇宙空間目指しロケット開発は「日本宇宙開発の父」糸川英夫から始まる。 糸川中島飛行機で軽、あるいは重戦闘機設計関与したが、その後制約避けて1941年東京帝国大学第二工学部(現・東京大学生産技術研究所)に移籍した。そして戦後はしばらく各種研究振動現象や、中には脳波などといったものもある)を行っていた。宇宙・航空に目をつけたのは、1950年代前半渡米のころとされる1954年東京大学生産技術研究所内にAVSA(Avionics and Supersonic Aerodynamicsアビオニクスおよび超音速空気力学研究班組織した。翌1955年いわゆるスペースプレーンのような構想示し、「ロケット旅客機」「20分で太平洋横断」といった見出し新聞記事となったが、その写真の「試作ロケット」の実現可能性などはよく分からず真の意図掴みかねる点が多い。同年には、AVSA研究班SR研究班改名したほか、富士精密工業(のちのプリンス自動車工業日産自動車宇宙航空事業部)らの尽力により、生産技術研究所借り受けた国分寺実験場近年正確な位置確かめるための調査進んでいる)において、ペンシルロケット発射試験行い各種データ採取したが、これがいわゆる宇宙ロケット」の祖である。 そのころ、日本航空開発も、1952年昭和27年)の独立経て1957年の完全解禁見越して後のYS-11構想立ち上がり始めており、科学技術庁は、製造を行う「日本航空機製造」と並列して技術研究を行う「航空技術研究所NAL)」を1955年発足させた。 NAL発足により、航空関係技術研究(のうち、特に旅客機などの実開発関与する部分)がそちらで行われることになることから、文部省東大生技術研究所で行う研究は、すでに実績のあった固体燃料ロケット観測ロケット向きでもあった)や、いわゆる科学衛星」を指向するという方向付けなされた

※この「前史〜生産研」の解説は、「宇宙科学研究所」の解説の一部です。
「前史〜生産研」を含む「宇宙科学研究所」の記事については、「宇宙科学研究所」の概要を参照ください。

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