ロケット開発
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シャルル・ド・ゴールが1958年にフランス大統領となり、米ソと異なる第3極を目指す中、フランスは核戦力の重大性と独自の核投射戦力を保有する重要性を認識し、弾道ミサイルの開発を決定した。1959年、事務関係の進まない関連省庁に対して、国防総省が民間企業に資金を拠出し首相が監督する公社として弾道ミサイル研究開発協会(SEREB)が設立され、ロケット・ミサイルの開発を行う元請組織となった。これによってこれまでロケット開発を行ってきたLRBAは実質的に下請けの役割となった。 1959年、フランスの将来ミサイルの開発方針は決定していなかった。アメリカはジュピターやポラリスなど液体、固体の両面で弾道ミサイルを運用、あるいは予定しており、特にポラリスは1960年7月20日に潜水艦からの発射にも成功していた。固体ロケットは長期保存が可能で即応的な運用が可能であるため、軍事用として利点を持っていた。1960年3月、将来ミサイル開発の会議中にLRBAの理事長はこれまでに観測ロケット由来で発展しており、技術が蓄積されている液体ロケットの推進を呼びかけた。LRBAはすでに推力20トン、搭載可能な誘導制御系を持つロケットを開発しており、一方固体燃料部門で技術者の経験は不足していた。しかし、開発方針の決定がないままSEREBは固体燃料系のロケットの設計試験施設のために多額の資金をボルドー近郊のサン=メダール=アン=ジャルに投入した。 米ロの激しい宇宙開発競争の中、ド・ゴールはフランスが宇宙開発分野で活躍する役割を研究すべく、1959年1月7日に宇宙開発研究委員会(CRS)を設立した。委員会は科学者、技術者、各省庁の代表者などが参加し、物理学者のピエール・オージェが委員長を務めた。委員会の最初の決定事項は1959年に地球観測年の一環として3機のヴェロニクAGIでの実験に関するものだった。軍事分野で進行中のロケット開発と衛星打ち上げロケット開発の両者の潜在的相乗効果は知られていたが、フランス政府は両者を統一して開発する方針をとらなかった。1960年に軍事分野でディアマンロケットの予備的研究が水面下で実施された。機密とされたこの計画を知らないオージェは1960年10月に軍事プログラムに基づいて開発されたエムロード(フランス語版)に関心を示した。また、1960年10月には平行して英仏主導によるヨーロッパの製造も検討されていた。 1961年8月2日、SEREBの研究を知ったド・ゴールはロケットを開発の機会を低価格で有効利用することを主張し、ディアマンロケットに光を当てた。また、CRSの機能を組み込んだ宇宙機関、フランス国立宇宙研究センター(CNES)の設立計画を発表し、1962年5月7日に創設された。ディアマンロケットは戦略ミサイルとして開発されたものの発展型であり、LRBAが開発した推力28トンの赤煙硝酸とテレビン油の液体燃料からなる第1段と、固体燃料の第2段から構成され、50-80kgの衛星を軌道に投入するために第3弾も開発された。 SEREBはディアマン開発を可能にするために1961年に基本的弾道学研究(EBB)を開始し、宝石計画と名付けられた。地対地弾道ミサイルとなるS2(英語版)は1.5メガトンの原子爆弾を3500km先に投射する必要性があった。産業開発はノール・アビアシオンとシュド・アビアシオンに委託された。1961年から65年にかけて長距離弾道ミサイルや衛星発射ロケットの実現に必要な知識体系が念入りに取得されていった。多くのロケットは、それぞれが1つまたは複数の別個の装置の開発を担当するように設計された。 アゲートは遠隔計測系と地上設備の開発に役立ち、トパーズは2種開発され、誘導と機体制御、ミサイル再突入体の試験に利用された。エムロードでは操作可能なノズルと制御装置、初段の動作が検証され、サフィールでは1段と2段の統合や1段の制御能力が、リュビでは3段目の能力となる上段の投入制御能力と安定化、ペイロードフェアリングなどの能力が実験された。 CNESは米国の宇宙機関NASAの科学技術マネージャージャック・ブラモン(英語版)との接触を通じて、FR-1衛星(フランス語版)の米製ロケットによる打ち上げを交渉した。協定によってCNESはNASAの衛星設計の指導を受けるために10人以上の技術者を派遣した。一方で軍民両用の分野で打ち上げロケットの技術の提供は拒否された。同時に産業界に呼びかけて試験機のFR-1とは異なるD-1系と呼ばれるの3機の衛星の製造を開始した。CNESの活動は衛星部門、地上設備、観測ロケットの作成などであった。 1965年11月26日、アマギール射場からディアマンロケットA1によって、フランス初の衛星アステリックスの打ち上げに成功した。衛星はフェアリング分離時の損傷によって沈黙したままであったが、追跡レーダーは衛星が軌道上に投入されたことを確認した。これによって、世界で3番目に人工衛星の打ち上げ能力を持つ国となった。その後、12月6日にFR-1がスカウトロケットで打ち上げられ、衛星の運用も始まった。その後1966年にディアパソン(フランス語版)、67年にディアデム(フランス語版)の2機のD-1系衛星が打ち上げられている。 ディアマン計画で得られた宇宙開発知識は、その後も欧州の宇宙開発を支える技術的基礎となった。また、フランス宇宙産業界の発展をもたらし、スネクマ、マトラ、SFENA(フランス語版)やSAGEMなどの企業や、ONERA(英語版)、CNET(英語版)、CNRSなどの団体が打ち上げ機や衛星の設計研究に関わって技術を得た。
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