航空宇宙・ロケット開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 13:55 UTC 版)
「中島飛行機」の記事における「航空宇宙・ロケット開発」の解説
中島飛行機は終戦直前にはドイツからの技術情報等に基づき、ジェットエンジンやロケットエンジンの独自開発にも着手していた。しかし、これらの資料は終戦時に焼却され一時途絶えた。技術力は富士重工と富士精密工業などと後のプリンスに継承されたが、日本政府は、経営破綻が時間の問題であったプリンスにロケット開発を担わせることに危機感を抱き、トヨタにプリンスを吸収合併させるべく画策した。しかし、トヨタは自動車製造に専念したいという理由(政府のヒモ付きとなることを懸念した)からこの話は破談となり、当時、業界2位であった日産が引き受けることになり、日本の宇宙ロケット技術の途絶という、最悪の事態は回避された。 実際のロケット開発として、糸川博士による国産初のロケットペンシルロケットを東京大学生産技術研究所AVSA班共に開発した。また、その後石川島播磨重工業(現:IHI)に吸収されるまで東京都荻窪に有った荻窪事業所(製造)、埼玉県川越(燃焼実験)で自衛隊のミサイル及び宇宙開発事業団(NASDA)(現:宇宙航空研究開発機構(JAXA))のロケット開発製造を行う。開発した事例としては、H-IIAロケットの固体燃料ブースター、衛星制御システム(液体燃料による姿勢制御)の他、固体燃料ロケットミューシリーズでは主体で開発を行った。 その後、日産とルノーとの提携に前後して、宇宙開発部門は分離され、IHI傘下となってアイ・エイチ・アイ・エアロスペースが誕生した。ロケットエンジンの開発メーカーは世界でも少数に限られ、日本の国策にもかかわるため、ルノーの資本参入が決定される際に水面下で様々な駆け引きがあったと言われている。
※この「航空宇宙・ロケット開発」の解説は、「中島飛行機」の解説の一部です。
「航空宇宙・ロケット開発」を含む「中島飛行機」の記事については、「中島飛行機」の概要を参照ください。
- 航空宇宙・ロケット開発のページへのリンク