航空学への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 09:14 UTC 版)
「ジョセフ・ヘンリー」の記事における「航空学への影響」の解説
ヘンリーはニューハンプシャー出身で気球で有名だったタデウス・ローと知り合うようになった。ローは空気より軽い気体に興味を持ち、それを気球に使って気象観測を行った人物である。ローはガス気球で大西洋を横断するという野望を抱いていた。ヘンリーはこれに大変興味をひかれ、ローを支援するようになった。 1860年6月、シティ・オブ・ニューヨーク号(後にグレート・ウェスタン号と改名)という巨大気球のフィラデルフィアからニューヨーク州メドフォードまでの試験飛行に成功した。同年秋には大西洋横断に2度失敗し、次回は1861年の晩春を待つ必要があった。そこでヘンリーはもっと西の方から東海岸まで飛行し、投資家の興味をつなぐことを提案した。 1861年3月、ローはオハイオ州シンシナティにやや小さい気球を運びこんだ。そして4月19日に飛行を行ったところ、アメリカ連合国(南部)に侵入してしまった。南北戦争が勃発したことでローの大西洋横断の試みは断念され、ヘンリーの勧めもあってワシントンD.C.に行き、合衆国政府に対して気球を戦争に利用することを提案することになった。ヘンリーは陸軍長官サイモン・キャメロンにローとその気球を推薦する手紙を書いた。 ヘンリーの推薦もあって、ローは北軍気球司令部を結成することになり、2年間北軍に協力した。
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