航空大隊創設
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1914年(大正3年)に勃発した第一次世界大戦に航空隊を臨時編成し、8月より12月にかけて参戦した陸軍は、翌1915年(大正4年)12月、常設部隊として所沢に航空大隊を創設した。これは飛行機運用の飛行中隊と気球中隊その他からなる大隊で、近衛師団長隷下の交通兵団(1915年1月、交通兵旅団を改編)に編入され、従来の気球隊は廃止された。同大隊には実戦部隊としての任務のほかに、航空機に関する諸般の研究と操縦または偵察将校の教育の任務が与えられた。それにしたがい操縦術修業者および空中偵察術修業者は、それまでの気球隊にかわって航空大隊に入隊し教育を受けることとなった。1917年(大正6年)8月、陸軍は1個航空大隊の増設を発令し、従来の航空大隊を航空第1大隊と改称、新大隊を航空第2大隊として所沢で編成を開始した。航空第2大隊は翌年11月に岐阜県稲葉郡鵜沼村(現在の各務原市東部)へ移転、同地の各務原陸軍演習場を飛行場として使用した。さらに1918年(大正7年)、航空第3大隊および航空第4大隊の編成が開始された。第3大隊は滋賀県神崎郡御園村(現在の東近江市中西部、大隊所在地は隣接の町名をとり八日市と通称された)、第4大隊は福岡県三井郡大刀洗村に置かれ、日本各地の航空大隊で飛行機操縦の教育が行われた。その一方で飛行機部隊との差異が明らかとなった気球中隊は1919年(大正8年)12月に航空第1大隊から分離し、ふたたび独立した気球隊となった。
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