中世の泊津
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 21:20 UTC 版)
中世の泊は「泊津」という地名であった。地名としての泊津は鎌倉時代より見え、薩摩国河邊郡のうちであった。承久の乱以降、河邊郡を治めていた千竈氏が記した「千竃文書」に泊津の地名が記載されており、嘉元4年(1306年)4月14日の譲状において「大とまりのつ」と記載されているのが地名の初見であるとされる。 応永20年(1413年)11月22日の川上文書には島津久豊によって「河辺郡之内泊之津」を川上氏に与えており、永享4年(1432年)11月3日の阿多文書によると島津忠国によって薩摩平氏の一族である阿多氏に泊津が与えられている。また、室町時代の武将で薩摩・大隅・日向の守護であった島津忠国は琉球への出兵を狙って泊津に滞在していたが、文明2年(1470年)に泊の地で没した。
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