中世の瓦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:06 UTC 版)
中世では南都焼討からの復興で瓦需要が急増する。東大寺は備前国などから瓦を搬入するが、興福寺は大和国の瓦工に製作をさせ、彼らが大和の瓦生産を主導するようになる。鎌倉時代に至り軒丸瓦の瓦当文様は、蓮華文はほぼ姿を消して三巴文が主流になり近世に至る。軒平瓦の瓦当文様は平安末期に成立した剣頭文が流行するが、それも時代を追って 下向陰刻剣頭文から下向陽刻剣頭文、上向陽刻剣頭文へと変化する。 また中世では瓦は様々な改良が行われるようになる。重源による東大寺再建などで用いられた軒平瓦には裏面に瓦座に引っ掛けるための突起がある。14世紀後半から15世紀中頃にかけて、掛(かかり)の瓦(滑り留め瓦ともいう)が登場する。掛の瓦とは、軒平瓦では瓦当部両端あるいは凹部側外縁に上方の突起が、軒丸瓦では丸瓦部の内側に突起を持つ瓦で、両者がかみ合うことで瓦がずれるのを防ぐ工夫と考えられる。中世に生まれた瓦はその他に鳥衾、雁振瓦、初源的な鯱瓦などがある。また室町時代には鬼瓦が笵で押したレリーフ状ものから、今日イメージされる立体的な造形に変化している。
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