中世の混乱とは? わかりやすく解説

中世の混乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:14 UTC 版)

イタリアの歴史」の記事における「中世の混乱」の解説

476年ゲルマン人出身傭兵隊オドアケルによって西ローマ帝国皇帝ロムルス・アウグストゥルス退位させられるオドアケルは西皇帝帝冠コンスタンティノープル東ローマ皇帝ゼノンへと贈り西ローマ帝国廃止された。なおコンスタンティノープル新たなローマとしたローマ帝国ビザンティン帝国)は、その後1000年わたって存続した。 5世紀に入るとローマ帝国荒らしていた東ゴート族の王テオドリックが、ゼノン帝の命を受けてオドアケル倒し東ゴート王国建国し、ローマ皇帝代理という名目統治行ったまた、シチリア島サルデーニャ島コルシカ島アフリカからのゲルマン人であるヴァンダル族征服された。 6世紀には旧西ローマ再統一もくろむローマ皇帝ユスティニアヌス1世将軍ベリサリウス率いる軍を派遣し、まず北アフリカ居座るヴァンダル族滅ぼした続いて東ゴート王位継承に異を唱えて再びベリサリウス派遣するが(ゴート戦争)、勝利を収めたベリサリウスをすぐに本国召還するなどして戦役長引いた546年12月東ゴート軍は、イサウリア人(ドイツ語版ハンガリー語版、オランダ語版の裏切りによってローマ陥落させ、ローマ略奪行なった最終的に552年7月には将軍ナルセスゴート族打ち破りブスタ・ガロールムの戦い ギリシア語: Μάχη των Βουσταγαλλώρων Battle of Busta Gallorum、タギナエの戦い イタリア語: Battaglia di Tagina 英語: Battle of Taginae)、イタリア全土ローマ帝国となった。しかし、20年イタリア全土巻き込んだ戦闘、および東ローマによる圧政住民土地著しく疲弊させただけであり、さらにローマ帝国とは言うものの中心コンスタンティノープルへ移っており、廃墟となったローマ単なる地方転落してしまった。

※この「中世の混乱」の解説は、「イタリアの歴史」の解説の一部です。
「中世の混乱」を含む「イタリアの歴史」の記事については、「イタリアの歴史」の概要を参照ください。

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