中世の歴史書、戯曲、詩、彫刻など
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「ブーディカ」の記事における「中世の歴史書、戯曲、詩、彫刻など」の解説
中世の頃までに、ブーディカとその故事は忘れ去られ、ベーダ・ヴェネラビリスの『Historia Brittonum』『マビノギオン』やジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』などの歴史書には一切記述されていない。しかし、ルネサンス期にタキトゥスの著作が再発見され、1534年にはオタリアのポリドール・ヴァージル(en)によってブーディカ(Voadicea)の故事はイギリス史に採録された。ラファエル・ホリンシェッドはタキトゥスとディオの著述を根拠に、1577年編纂の『Chronicles』にブーディカの故事を加えた。これは、シェイクスピアと同時代の戯曲作家フランシス・ボーモント(en)とジョン・フレッチャーに影響を与え、1610年には彼らの手による戯曲「Bonduca」が書かれた。また、1782年にはウィリアム・クーパーによる有名な詩「Boadicea, an ode」が詠まれた。 伝説としてのブーディカの名声が高まったのはビクトリア朝時代だった。彼女の名が、時の女王ヴィクトリアと同じ意味を持つとされ、桂冠詩人のアルフレッド・テニスンは詩「Boadicea」を詠んだ。1795年にはイギリス海軍フリゲート艦隊の名称に「Boadicea」が採用され、以後も多くの艦にその名が使われている。 ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバートは彫刻家トーマス・ソーニクロフト(en)に命じブーディカの像を制作させた。1905年に完成したブロンズ製の像は、二人の娘を従えてチャリオット(史実と異なりペルシア帝国調の車に鋤の刃を持つタイプ)に乗り、腕を突き上げたブーディカの迫力を表現した大作に仕上がった。この像はウェストミンスター橋に隣接するウェストミンスター宮殿に据えられ、クーパーの詩の一節が添えられている。 Regions Caesar never knewThy posterity shall sway. いかな帝も 知る術ぞ無し汝の御代 推して儚し 。
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