中世の歴史書、戯曲、詩、彫刻などとは? わかりやすく解説

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中世の歴史書、戯曲、詩、彫刻など

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 09:18 UTC 版)

ブーディカ」の記事における「中世の歴史書、戯曲、詩、彫刻など」の解説

中世の頃までに、ブーディカとその故事忘れ去られベーダ・ヴェネラビリスの『Historia Brittonum』『マビノギオン』やジェフリー・オブ・モンマス『ブリタニア列王史』などの歴史書には一切記述されていない。しかし、ルネサンス期タキトゥス著作再発見され、1534年にはオタリアのポリドール・ヴァージル(en)によってブーディカ(Voadicea)の故事イギリス史採録された。ラファエル・ホリンシェッドタキトゥスディオ著述根拠に、1577年編纂の『Chronicles』にブーディカ故事加えた。これは、シェイクスピア同時代戯曲作家フランシス・ボーモント(en)とジョン・フレッチャー影響与え1610年には彼らの手による戯曲「Bonduca」が書かれた。また、1782年にはウィリアム・クーパーによる有名な詩「Boadicea, an ode」が詠まれた。 伝説としてのブーディカの名声が高まったのはビクトリア朝時代だった。彼女の名が、時の女王ヴィクトリアと同じ意味を持つとされ、桂冠詩人アルフレッド・テニスンは詩「Boadicea」を詠んだ1795年にはイギリス海軍フリゲート艦隊の名称に「Boadicea」が採用され以後多くの艦にその名が使われている。 ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバート彫刻家トーマス・ソーニクロフト(en)に命じブーディカの像を制作させた。1905年完成したブロンズ製の像は、二人の娘を従えてチャリオット史実異なりペルシア帝国調の車に鋤の刃を持つタイプ)に乗り、腕を突き上げたブーディカ迫力表現した大作仕上がった。この像はウェストミンスター橋隣接するウェストミンスター宮殿据えられクーパーの詩の一節添えられている。 Regions Caesar never knewThy posterity shall sway. いかな帝も 知る術ぞ無し汝の御代 推して儚し 。

※この「中世の歴史書、戯曲、詩、彫刻など」の解説は、「ブーディカ」の解説の一部です。
「中世の歴史書、戯曲、詩、彫刻など」を含む「ブーディカ」の記事については、「ブーディカ」の概要を参照ください。

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