ジェフリー・オブ・モンマスとは? わかりやすく解説

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ジェフリー・オブ・モンマス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 22:43 UTC 版)

自分の預言を読み聞かせるマーリン。ジェフリー・オブ・モンマス『マーリンの預言』より

ジェフリー・オブ・モンマス(Geoffrey of Monmouth, ウェールズ語:Gruffudd ap Arthur または Sieffre o Fynwy, 1100年頃 - 1155年頃)は、中世イングランドキリスト教聖職者歴史家アーサー王伝説の語り手の一人として知られる。著作のほとんどは歴史を題材としたロマンチックなフィクションである。

生涯

ジェフリー・オブ・モンマスの生年地は不明だが、1100年から1110年の間にウェールズで出生したとされる。ジェフリーは著作『ブリタニア列王史』の中で、ウェールズのモンマスシャー州のカーリアン (Caerleonについてたびたび言及しており、また自らを Galfridus Monumetensis(モンマスのジェフリー)と名乗っていることから、モンマスと何らかの縁があった人物とみられている。しかしジェフリーにウェールズ語の知識はほとんどなく、彼がウェールズ人か、あるいはウェールズ在住のノルマン人の子孫であったという証拠は見つかっていない。また、ノルマン征服と共にグレートブリテン島へ渡来して南ウェールズに定住したブルトン人ブルターニュ人)の出身とする学説もある。

ジェフリーは1129年から1151年までの間オックスフォードに在住し、その後は北ウェールズで終生を過ごした。現存している彼の自筆署名の入った6つの特許状のうち、その全てにオックスフォード助祭長ウォルター (Walter of Oxfordの署名が共に連ねられている。このことから、ジェフリーはオックスフォード城内にあるセント・ジョージ・カレッジの律修司祭を務めていたと考えられている。

1152年にはカンタベリー大司教テオバルドにより、セント・アサフ司教に叙階された。

著作

ジェフリーの作品は、全てラテン語で書かれた。

マーリンの預言

マーリンの預言英語版』(Prophetiae Merlini)は、1135年以前に書き始めたとされる。この話に登場するマーリンは、ウェールズの伝説に登場する賢者ミルディンがモデルといわれる[1] が、当時のジェフリーは伝説についてさほど知らなかったとみられている。ウェールズ語以外で初めて描かれた預言者マーリンの物語は、数世紀後に出たノストラダムスの大予言と同じように広く知られ、信じられてきた。

ブリタニア列王史

ジェフリーの最も知られた代表作は、『ブリタニア列王史』(Historia Regum Britanniae)である。彼はこの本について、「イギリスの全英雄について整然と記したブリテン語の古書」を翻訳したものだと主張しているが、今日その内容のほとんどは、いくつかの神話や古書を基に、ジェフリー自身が創作した物語と考えられている[2]。このことは既に12世紀のウィリアム・オブ・ニューバーグ(en)が、「(ジェフリーが)戦士ヴォーティガーンや彼以降の英雄たち、またアーサー王やその後継者について描いた物語は、一部は彼自身、一部は他の者(ジェフリーが参考とした本や神話)によって創作されたものである」[3]と看破しているとおりである。

物語はトロイのブルータスによる最初の移住に始まり、紀元前5世紀頃のレイア[4]王の物語、紀元前1世紀のクノベリヌス[5]王の物語、ユリウス・カエサルブリタンニア侵攻[6]、5世紀後半のアーサー王の伝説、7世紀のグウィネズ王英語版カドワラドルス英語版の死などが描かれてゆく。

一部で囁かれた偽書説に反して、『ブリタニア列王伝』の物語は、後世の歴史書に事実として頻繁に引用された。

マーリンの生涯

また、ヘクサメトロス形式で書かれた詩『マーリンの生涯』(Vita Merlini)には、よりウェールズの伝説に近い形でマーリンが登場する。この本の中でマーリンは、「森のマーリン」や「スコットランドのマーリン」と呼ばれ、見捨てられ、悲しみに打ちひしがれて狂った森の老人として描かれる。『マーリンの生涯』は一般には出回らず、この詩がジェフリーの作品であるという記述は13世紀の一書籍に見られるに過ぎないが、構成や内容などの特徴から、彼の作品であるとほぼ断定されている。

参照

  1. ^ レイチェル・ブロムウィッチ(Rachel Bromwich)は、「MyrddinがMerlinに、ddがlに変化するのは奇妙だ」としている(Bromwich, Trioedd Ynys Prydein: The Welsh Triads, second edition [Cardiff: University of Wales, 1978], p. 472 n.1.)。
  2. ^ Thorpe, Kings of Britain pp. 14-19.
  3. ^ Kings of Britain, p. 17.
  4. ^ 後にシェイクスピアによる悲劇リア王』で有名になった。
  5. ^ 後にシェイクスピアによる戯曲シンベリン』で有名になった。
  6. ^ 43年クラウディウス帝のブリテン島侵攻英語版とは別の戦争。

参考文献

  • Geoffrey of Monmouth. The History of the Kings of Britain. Translated, with introduction and index, by Lewis Thorpe. Penguin Books: London, 1966. ISBN 0-14-044170-0
  • John Jay Parry and Robert Caldwell. "Geoffrey of Monmouth" in Arthurian Literature in the Middle Ages, Roger S. Loomis (ed.). Clarendon Press: Oxford University. 1959. ISBN 0-19-811588-1
  • N. J. Higham. King Arthur: Myth-making and History, London and New York, Routledge, 2002, ISBN 0415213053
  • John Morris. The Age of Arthur: A History of the British Isles from 350 to 650. Barnes & Noble Books: New York. 1996 (originally 1973). ISBN 1-84212-477-3
  • Brynley F. Roberts. "Geoffrey of Monmouth, Historia Regnum Britanniae and Brut y Brenhinedd" in The Arthur of the Welsh: The Arthurian Legend in Medieval Welsh Literature, Cardiff, University of Wales Press, 1991, ISBN 0708313078

この参考文献は英語版作成の際のものであり、日本語版作成の際には参考にしておりません。

外部リンク

ウェブ上で入手できる英語翻訳版


ジェフリー・オブ・モンマス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 04:32 UTC 版)

アーサー王」の記事における「ジェフリー・オブ・モンマス」の解説

アーサー生涯最初に一つの物語にしたものはジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』である。1138年完成したこの作品伝説上のトロイ人漂流者ブルートゥスから7世紀ウェールズ王カドワラダ(Cadwaladr)までのブリテン諸王歴史空想的に、あるいは非現実的記している。『ブリトン人の歴史』『カンブリア年代記』同じくジェフリーアーサーポスト・ローマ時代人物としている。アーサーの父ユーサー、魔法使い助言マーリン、そしてアーサー誕生物語マーリン魔法によってユーサーの敵ゴルロワ(Gorlois)に化けたユーサーがティンタジェル城でゴルロワの妻イグレイン同衾し、アーサー妊娠する)が語られる。ユーサーが死んで15歳アーサーブリテン王位を継ぐと、『ブリトン人の歴史』語られたような、バドニクス山の戦い頂点とする数々戦い繰り広げるアーサーピクト人スコット人を討伐し、アイルランドアイスランドオークニー諸島征服し大帝国打ち建てる12年平穏の後にアーサーは再び帝国拡張着手しノルウェーデンマークガリアフランス)を占領する当時ガリアローマ帝国服していたため、アーサー今度ローマ帝国対峙することになる。帝王アーサーカイウス(Caius, ケイ)、ベドゥエルス(Beduerus, ベディヴィア)、ガルガヌス(Gualguanus, ガウェイン)を初めとする戦士たちガリアローマ皇帝ルキウス・ティベリウスを破るが、ローマへ進軍準備している時にアーサーブリテン島守り委ねていた甥モドレドゥス(Modredus, モードレッド)がアーサーの妻ゲンフウアラ(Guenhuuara, グィネヴィア)と結婚し王位簒奪したことを聞き知るアーサーはすぐにブリテン帰還しコーンウォールのカンブラム川(Camblam)でモドレドゥスを破り殺害するが、アーサー瀕死の重傷負ってしまう。彼は血縁コンスタンティン王位譲り、傷を癒すためにアヴァロン島へ連れ去られるアーサーはそこから二度と帰って来ることはなかったという。 この物語ジェフリー創作どれほど含まれていたかは現在でも議論されている。サクソン人との12の戦い9世紀『ブリトン人の歴史』から、カムランの戦い『カンブリア年代記』からとられたのは確かとされるアーサーブリテン王という地位ジェフリー以前の『キルッフとオルウェン』や『ウェールズ三題詩』、各種聖人伝などに見られる伝承からとられたのかもしれない加えてジェフリーの描くアーサー多く要素は『キルッフとオルウェン』に強い相似性見られ忠誠、名誉、巨人贈与、寝盗り、魔法品々などといったモチーフテーマ両方共通する。さらに、モンマスは『キルッフとオルウェン』から多く人物名引用している(サー・ケイカイ、サー・ベディヴィアはベドウィル、サー・ガウェインはグアフメイ(Gwachmei)に相当する)。また、両者ヒロインの名称も似ており、グィネヴィアは「白い亡霊」という意味で、一方でオルウェンは「白い足跡」という意味である。アーサー持ち物縁者側近の名前もジェフリー以前ウェールズの伝承から借用していると考えられるカリブルヌス(Caliburunus, 後のエクスカリバー)はカレドブルフ(Caledfwlch)、グィネヴィアグウェンフィヴァル(Gwenhwyfar)、ユーサーはウトゥル(Uthyr)にそれぞれ由来する)。このように名前や重要な出来事称号古来の伝承由来する一方で、ブラインリー・ロバーツによるとアーサーに関する記述ジェフリー創作であり、それ以前典拠存在しないという。たとえば、ジェフリーウェールズのメドラウドを邪悪な人物、モドレドゥスに作りかえているが、ウェールズの伝承にはそのような否定的な人物像16世紀になるまで存在しない12世紀後半のニューバラのウィリアムによる「ジェフリー常軌を逸した虚言への愛(inordinate love of lying)でもって(『列王史』を)書き上げたのだ」という意見受け入れられてきたため、『ブリタニア列王史』ジェフリーの完全な創作物である、という意見対す反論現代に至るまであまり行われてこなかった。ジェフリー・アッシュは反対論者一人で、ジェフリー記述いくつか5世紀ブリトン人の王、リオタムス(Riothamus)という人物に関するすでに失われた資料由来する主張している。しかし、歴史家ケルト学者の多く彼の意見支持していない。 依拠し資料存在したにせよしなかったにせよ、ジェフリー『ブリタニア列王史』大きな人気得たことは否定しようがない。この作品写本200部以上現存していることが知られており、これは他の言語訳されたものを除いた数字である。ウェールズ語版の『列王史』は約60存在しており、最古のものは13世紀のものである。古い学説ではこれらのうちの数冊がラテン語の『列王史』の基になったとされた。この説は18世紀古物蒐集家ルイス・モリスなどに支持されたが、現在の学界で否定されている。このような名声得たことにより、『列王史』はのちの中世におけるアーサー王伝説発展多大な影響与えた。『列王史』は決してのちのアーサー王ロマンスより前に書かれ唯一の作品だったわけではなかったが、『列王史』は後世多く要素借用され、さらに発展加えられていった(たとえばマーリン物語アーサー最期など)。彼の生み出した枠組みに、多く魔法驚異満ちあふれた数々冒険付け加えられていくことになるのである

※この「ジェフリー・オブ・モンマス」の解説は、「アーサー王」の解説の一部です。
「ジェフリー・オブ・モンマス」を含む「アーサー王」の記事については、「アーサー王」の概要を参照ください。

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