ジェフリー以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 04:32 UTC 版)
アーサーへの言及がある最古の文学作品はウェールズとブルターニュのものである。ジェフリー以前のアーサーの一般的な性質と特徴を個々の作品を超えて定義しようとする試みは何度か行われてきた。トーマス・グリーンによって行われた最近の学術調査によると、初期の時代のアーサーに関するの記述には3つの鍵となる要素があるという。一つ目は、内外からやってくる全ての脅威からブリテンを守る無比の戦士、というものである。その脅威の一つが『列王史』に登場するサクソン人だが、他の多くは超自然的な怪物、すなわち巨大な化け猫、聖なる猪、竜、犬頭人、巨人、魔法使いなどである。二つ目は、お伽話(特に地名や語源を説明する物語や魔法が出てくる物語)に登場する、荒野に暮らす超人的な戦士団の長というものである。最後の三つ目は、ウェールズ人の他界アンヌンに深い関わりを持つ人物、というものである。伝承の一つに、アーサーが宝を求めて、あるいは囚われた仲間を解放するために他界の砦に攻撃を仕掛けるというものがある。また、初期の資料に書かれているアーサーの戦士団にはケルトの神々を前身とする者がおり、アーサーの妻や持ち物も明らかに他界に由来する。 アーサーに言及のあるウェールズの詩で最も有名なものは『ア・ゴドズィン』に収められている。『ゴドズィン』は英雄の死を歌った詩集で、6世紀の詩人アネイリンの作と伝えられている。その中の一連(スタンツァ)に、300人を殺した戦士の勇敢さを褒め称えるものがあるが、その後の部分でそれでもその戦士は「アーサーではない」(すなわちアーサーの武勇には及ばない)とある。『ゴドズィン』は13世紀の写本によってのみ知られるため、上述のスタンツァがもともと書かれていたものか、あるいは後に挿入されたものかを断定することは不可能である。この箇所が7世紀かそれ以前のものである、というジョン・コッホの説は実証されておらず、また、9世紀か10世紀、という説も何度か唱えられている。6世紀に生きたとされる詩人タリエシンの作とされる詩の数篇にもアーサーに触れているものがあるが、それらはみな8世紀から12世紀の作品と考えられている。その中には、「祝福されたものアーサー」という言葉がある『王子の椅子(Kadeir Teyrnon)』、アーサーの他界への冒険が語られる『アンヌンの略奪品(Preiddeu Annwn)』、アーサーの武勇と、ジェフリー以前にユーサーとアーサーの親子関係を匂わせる数少ない作品である『ユーサー・ペン(ドラゴン)の哀歌(Marnwnat vthyr pen[dragon])』などがある。 他のウェールズ語のアーサー王関連のテクストに、カーマーゼンの黒本に収められた詩『門番は誰だ?(Pa gur yv y porthaur?)』がある。この詩はアーサーと城砦の門番の対話形式となっており、城砦に入ろうとするアーサーが門番に対し自分とその部下(特にカイ(ケイ)とベドゥイル(ベディヴィア))の名前と事績を物語る、という内容である。現代の『マビノギオン(Mabinogion)』に収められた散文『キルッフとオルウェン(Culhwch and Olwen)』(1100年頃)にはアーサー王の部下の名が200名前後挙げられており、カイとベドゥイルが活躍する。この物語は、巨人の首領イスバザデン(Ysbaddaden)の娘オルウェンとの結婚をかけ、主人公キルッフがアーサーとその戦士たちの助けを受けつつ、イスバザデンによって課された数々の困難な試練(トゥルッフ・トゥルウィスの聖なる大猪を倒すなど)に挑戦するというものである。9世紀の『ブリトン人の歴史』にも同様のエピソードがあるが、ここでは大猪はトロイ(ン)ト(Troy(n)t)という名前になっている。最後に、『ウェールズの三題詩(Welsh Triads)』でもアーサーの名が何度も言及されている。これはウェールズの伝承と伝説を短く要約して、それぞれ関連のある3組の人物やエピソードごとにまとめたものである。後期の『三題詩』の写本にはジェフリーやフランスの伝承を引き写した部分があるが、最初期の写本はそれらの影響は見られず、現存するものよりも古いウェールズの伝承を伝えていると考えられている。そこではすでにアーサーの宮廷を伝説上のブリテン島に等しい存在として描いており、「ブリテン島の三つの〜」という定型句が「アーサーの宮廷の三つの〜」という表現にたびたび言い換えられている。『ブリトン人の歴史』や『カンブリア年代記』の頃から既にアーサーが王と考えられるようになっていたのかは不明だが、『キルッフとオルウェン』や『三題詩』ではアーサーは「この島(ブリテン島)の諸侯の首領(Penteymedd yr Ynys hon)」であると書かれている。 ここまでに述べたジェフリー以前のウェールズの詩や物語に加えて、『ブリトン人の歴史』や『カンブリア年代記』以外のラテン語のテキストにもアーサーが登場している。特に、一般には歴史史料として見なされない、数多くの有名なポスト・ローマ期の聖人伝(vitae, 最初期のものは11世紀のものとされる)にアーサーの名が見える。12世紀初期にスランカーファンのカラドック(Caradoc of LLancarfan)によって書かれた『聖ギルダス伝』では、アーサーはギルダスの兄弟フエルを殺し、さらにグラストンベリーからグウェンフィヴァル(グィネヴィア)をさらって行ったとされる。1100年頃かそれより少し前にスランカーファンのリフリス(Lifris of LLancarfan)が書いた『聖カドク伝(Cadoc)』では、聖カドクはアーサーの兵士三人を殺した男を保護し、それに対してアーサーは死んだ兵士の賠償金(wergeld)として一群の牛を要求する。カドクは言われたとおり牛を届けるが、アーサーが手に入れた途端、牛の群れはシダの束に変化してしまう。同じような話は12世紀頃に書かれた『聖カラントクス伝(Carantcus)』、『聖パテルヌス伝(Paternus)』、『聖エウフラムス伝(Eufflamus)』にも見える。11世紀初期に書かれたとされる『聖ゴエズノヴィウスの伝説(Legenda Sancti Goeznovii)』(ただし、最も古い写本は15世紀のものである)には、これらよりも伝説色の薄いアーサーの話が登場する。マームズベリのウィリアムの『イングランド諸王の事績(De Gentis Regum Anglorum)』とエルマン(Herman)の『ランの聖マリアの奇跡(De Miraculis Sanctae Mariae Laudensis)』のアーサーに言及している箇所も重要である。このニ書は「アーサーは死んだのではなく、いつの日か帰ってくる」という信仰が登場する、実証されている最初の例である。この「アーサー王帰還伝説(en:King Arthur's messianic return)」はジェフリー以降、頻繁に登場するテーマである。
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