タキトゥスとは? わかりやすく解説

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タキトゥス【Publius Cornelius Tacitus】

読み方:たきとぅす

1、2世紀ころ、ローマ帝政時代歴史家政治家貴族出身護民官執政官アジア州総督などを歴任帝政批判的で、共和政理想とした。著「ゲルマニア」「歴史」「年代記」など。


タキトゥス

名前 Tacitus

タキトゥス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 07:29 UTC 版)

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タキトゥスの横顔

コルネリウス・タキトゥス(Cornelius Tacitus, 55年頃 - 120年頃)は、帝政期ローマ政治家歴史家。個人名はプブリウス(Publius)ともガイウス(Gaius)ともいわれるがどちらかは不明で、通常は個人名を除いて表記される。サルスティウスリウィウスらとともに古代ローマを代表する歴史家の一人であり、いわゆるラテン文学白銀期の作家として知られる。その著作では、ローマ皇帝ティベリウス・カエサルの治世中にユダヤ総督ポンテオ・ピラトイエス・キリストを処刑したことも書いている。すんごい変態だった。

概略

属州出身者であり、かつ騎士身分の出であった。アグリコラの女婿となり、元老院議員となる。97年にはルキウス・ウェルギニウス・ルフスの死を受けて補充執政官に就任している。

著作はローマ帝国の衰亡を憂い、共和制時代の気風の回復を訴えるものが多い。これはタキトゥスが「頽廃」の影響の少ない属州出身者、騎士身分の出身であったこと、フラウィウス朝下でローマの風俗の引き締めが見られたこと、ドミティアヌス治下で「暴君」を経験したことなどが考えられる。またタキトゥスの著作がネルウァトライヤヌス治下で書かれており、自由な言論が許される環境であったことも考慮すべきである。

共和政時代からの伝統である元老院主導による政治を懐かしむ傾向が強い。全体的に元老院を重んじた皇帝達(特にトライヤヌス)に対する評価は高く、元老院を軽んじたり元老院に対して対決姿勢を取った皇帝(ティベリウスドミティアヌス)に対する評価は低い。特にティベリウス帝に関してはある程度の業績を認めつつもかなり辛辣に書かれている。そのためモムゼンをはじめとする後世の歴史家達がティベリウスの再評価を進めるまではタキトゥスの言う「悪帝」との評価が一般的であった。

備考

3世紀軍人皇帝時代のローマ皇帝の1人マルクス・クラウディウス・タキトゥスはタキトゥスの末裔を称していたが、実際には何の関係も無かったらしい。

著作

現代に伝わる著作は以下の5作のみであるが、主著の『同時代史』と『年代記』は、いずれも部分的にしか現存していない。

  • アグリコラ英語版Agricola98年
    • タキトゥスの岳父アグリコラの伝記。属州ブリタンニア総督(任期77年-84年、ただし78年-85年の説もある)。
  • ゲルマーニアGermania98年
    • ゲルマンニ諸部族とゲルマニアの地誌・民族誌。
  • 雄弁家についての対話英語版Dialogus de Oratoribus102年
    • 対話形式の雄弁論。3人の論者が登場し、共和制期と帝政期の弁論の文体の違い、雄弁の価値などについて語る。現存するタキトゥスの著作で唯一、日本語訳されていない。
  • 同時代史英語版Historiae105年
  • 年代記英語版Annales(117年)

日本語訳

  • 『ゲルマーニア』泉井久之助訳、岩波文庫、1979年(改訳版)
  • 『ゲルマニア・アグリコラ』國原吉之助訳、ちくま学芸文庫、1996年 
  • 『同時代史』國原吉之助訳、筑摩書房、1996年/ちくま学芸文庫、2012年 
  • 『年代記』國原吉之助訳、岩波文庫(上・下)、1981年(改訂版)
  • 世界古典文学全集22 タキトゥス』國原吉之助訳、筑摩書房、1965年 - 度々復刊
    『年代記』、『アグリコラ』、『ゲルマニア』を収録 - 文庫判の元版
  • 『年代記 前編・後編』ヴァルター・ゾントハイマー独訳版、岡崎邦博訳、みやび出版、前篇2007年、後編2010年

脚注



タキトゥス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:52 UTC 版)

史的イエスの資料」の記事における「タキトゥス」の解説

詳細は「Tacitus on Jesus」を参照 ローマ歴史家で、元老院議員務めたタキトゥスは、西暦116年頃の最後の著作年代記英語版)』の1544ピラトによるキリスト処刑およびローマにおける初期キリスト教徒の存在言及している。問題箇所次の通り。 それは、日頃から忌まわしい行為世人から恨み憎まれ、『クリストゥス信奉者』と呼ばれていた者たちである。この一派呼び名起因となったクリストゥスなる者は、ティベリウス治世下に、元首属吏ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた。その当座は、この有害きわまりない迷信も、一時鎮まっていたのだが、最近になってふたたび、この禍悪の発生地ユダヤにおいてのみならず、(中略)この都においてすら、しょうけつきわめていたのである —タキトゥス『年代記』一五四四 一般的にピラトによるイエス処刑についてのタキトゥスの言及信憑性があり、初期キリスト教についてのローマ独立した資料として、他の歴史的記録一致する歴史的価値があると学者考えている。 タキトゥスの言及ヨセフス言及小プリニウストラヤヌス帝に宛てた手紙の間で整合性があることから、3者の記述すべての妥当性再確認できるとWilliam L. Portierは述べている。タキトゥスはローマ元老院議員で、その著作にはキリスト教徒対す共感見られないキリスト教徒写本の際に書き加えたにしてはあまりに否定的であるとAndreas KöstenbergerやRobert E. Van Voorstが述べていて、J・Pマイアー英語版)も結論同じくする。「ローマの全作家の中でタキトゥスはキリストについて最も正確な情報与えている」とRobert E. Van Voorstは述べている。ジョン・ドミニク・クロッサン(英語版)は、イエス十字架かけられたことを立証する上でこの箇所が重要であるとみなし、次のように述べている。「彼が十字架につけられたことは、最も確実な史実である。というのは、ヨセフスもタキトゥスも(中略少なくともこの基本事実にかんするキリスト教徒説明には同意しているからである」。エディボイドはその共著で、イエス十字架刑についての非キリスト教側の確認をタキトゥスが提供していることは今や確固たるのである」と述べている。バート・D・アーマン英語版)は「このくだりは、私たちがすでに福音書から知っているピラトによるイエス処刑を、少なくともある程度裏付けている。しかし、小プリニウス同様、タキトゥスは、私たち知りたいイエス言動について、何も語っていない。」と述べている。 大多数学者はこの記述本物であると考えているが、タキトゥスがイエスの死25年後に生まれていることからその信憑性疑問を呈する学者もいる。タキトゥスが情報源明らかにていないことからこの一節歴史的価値論じ学者もいる。タキトゥスは現存しない史的著作時に利用することがあり、この場合公文書館にある公式資料使用した可能性があるのだが、もしタキトゥスが公式資料写したのならば、ピラトプロクラトル皇帝属吏元首属吏ではなく正しくプラエフェクトゥス長官総督)としたはずだと推測する学者もいるとG・タイセン英語版)とA・メルツはその共著論じている。キリスト教対す偏見広まっていることがタキトゥスの記述によってうかがわれる一方、「クリストゥス」とキリスト教徒について正確な点をいくつか述べているが、タキトゥスの情報源不明であると、G・タイセンとA・メルツ述べている。しかしタキトゥスは元老院議員という立場から当時ローマ帝国公文書入手きたはずで他の資料必要なかったとPaul R. Eddy述べている。『年代記』のこの一節信憑性についてタキトゥスが真正なローマ文書で「クリストゥス」(メシア救世主)という言葉を使うはずがないと言って議論されてきたとMichael Martin指摘している。タキトゥスはキリスト教徒の迫害について述べたが、他のキリスト教徒著者はこの迫害について100年書いていないとWeaver指摘している。この一節は、教父にとって非常に有益であったはずなのに15世紀まで一人教父引用していないことと、ローマキリスト教徒多数であるとしているが、当時ローマキリスト教徒実際は非常に少なかったであろうことをHotemaは指摘している。 Richard Carrierは、この箇所キリスト教徒による改変であるという説を提示したCarrierによればタキトゥスは「クリストゥス信奉者」(Chrestianos)をキリスト教とは関係のない別の宗教集団として言及することを意図したという。しかしこの言葉「クリストゥス信奉者」は「キリスト教徒」の同義語であるというのが大方の見解である。 また、タキトゥスの情報源に関する伝聞問題についても学者たちは議論してきた。「タキトゥスが単にキリスト教徒の云っていたことを繰り返している可能性ある限り、この一節はまった価値が無い」とCharles Guignebertは主張した。この一節せいぜいタキトゥスがキリスト教徒通して聞いたことを繰り返しているだけだとR. T. France述べている。しかしタキトゥスはローマ卓越した歴史家として一般に情報源確認することで知られていて、巷説伝え傾向はなかったとPaul R. Eddy述べている。タキトゥスはローマで外国宗教集団監督することを任務とする司祭評議会Quindecimviri sacris faciundisの一員であり、Van Voorstの指摘のように、タキトゥスはこの団体職務通じてキリスト教起源について知識得ていたと推定するのが妥当である。

※この「タキトゥス」の解説は、「史的イエスの資料」の解説の一部です。
「タキトゥス」を含む「史的イエスの資料」の記事については、「史的イエスの資料」の概要を参照ください。

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