小プリニウスとは? わかりやすく解説

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しょう‐プリニウス〔セウ‐〕【小プリニウス】

読み方:しょうぷりにうす

プリニウス[二]


ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス

(小プリニウス から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/09 20:42 UTC 版)

ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス

ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス(Gaius Plinius Caecilius Secundus, 61年頃 - 113年頃)は、帝政ローマの文人、政治家[1][2]北イタリアコムム(現在のコモ市)生まれ。父の死後、母方の叔父である博物学者、政治家、軍人のガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)の養子になった[1]。叔父との区別のため小プリニウスと称される。

元老院議員としてトラヤヌス帝に対して捧げた賞賛の演説『頌詞』と、全10巻の『書簡集英語版』が作品として知られている。『書簡集』は103年頃から出版したもので、96年末頃からの書簡を収めていて[3]当時のローマ社会を知るうえできわめて重要な史料である[4]。『書簡集』第1巻から第9巻には私信を収め、友人・知人あての247通からなる。第10巻にはトラヤヌスと交わした公的書簡121通を収め、巻初からの14通はローマでプリニウスが書いた手紙と皇帝の返書1通で、残りの107通は109年秋から赴任地ビテュニア・ポントゥスで暮らしたプリニウスが属州総督としてトラヤヌス宛てに書いた手紙とトラヤヌスの答書で構成されている[5]。112年ごろ書いた手紙およびトラヤヌスの答書による指示は、皇帝礼拝を拒否しイエス・キリストを崇拝するキリスト教徒に対する処遇方法を知る事ができる貴重な資料となっている[6]タキトゥスとは友人で、彼の求めに応じて叔父が死んだ日の様子を語った書簡が『書簡集』に含まれており、ヴェスヴィオ火山の噴火の様子を知る貴重な資料となっている。

プリニウスは資産家としても知られ、総額2億セステルティウスの資産があったと考えられている。古代ローマ研究者R・ダンカン・ジョーンズの研究によれば、資産者リストの21位となっている[7]

日本語訳書

  • 国原吉之助訳『プリニウス書簡集:ローマ帝国一貴紳の生活と信条』〈講談社学術文庫〉1999年。ISBN 978-4061593671。抄訳[8]
  • 神田楯夫校註『プリニウス書簡選』岩波書店〈岩波ギリシア・ラテン原典叢書〉1950年。24通の書簡原文と「学生向きの親切な註」[9]
  • 弓削達『素顔のローマ人』河出書房新社〈生活の世界史4〉1975年。「約百三十頁にわたって……抄訳しつつ、ローマの社会を描写」[9]

小プリニウスにちなむ命名

小惑星 (3226) プリニウスは、小プリニウスの名前にちなんで命名された[10]

脚注

  1. ^ a b 島創平「プリニウス」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館コトバンク。2021年10月13日閲覧。
  2. ^ プリニウス(小)」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』コトバンク。2021年10月13日閲覧。
  3. ^ 国原吉之助「解説」『プリニウス書簡集:ローマ帝国一貴紳の生活と信条』1999年、449-450頁。
  4. ^ 島創平「プリニウス」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、コトバンク。2021年10月23日閲覧。
  5. ^ 国原吉之助「まえがき」「解説」『プリニウス書簡集:ローマ帝国一貴紳の生活と信条』1999年、6頁、8頁、448頁。
  6. ^ 二川佳巳「プリニウスの手紙」『新カトリック大事典研究社KOD. 2021年10月14日閲覧。
  7. ^ 第3位は3億セステルティウスセネカ
  8. ^ 国原吉之助「まえがき」『プリニウス書簡集:ローマ帝国一貴紳の生活と信条』1999年、6-9頁。
  9. ^ a b 国原吉之助「参考文献」『プリニウス書簡集:ローマ帝国一貴紳の生活と信条』1999年、454-455頁。
  10. ^ (3226) Plinius = 1977 DR = 1982 DT3 = 6565 P-L = PLS6565”. MPC. 2021年9月11日閲覧。

小プリニウス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:52 UTC 版)

史的イエスの資料」の記事における「小プリニウス」の解説

詳細は「Pliny the Younger on Christians」を参照 小プリニウス(61年頃 - 113年頃)の『書簡集』は「当時ローマ社会を知るうえできわめて重要な史料である。」 この『書簡集』の第10巻皇帝トラヤヌスとの往復書簡集で、小プリニウスはローマ帝国ビテュニア属州総督として皇帝報告し、その指示仰いでいる。その中の西暦112年ごろの往復書簡は、皇帝礼拝拒否しキリスト崇拝するキリスト教徒対す処置に関するもので、キリスト教史として貴重な史料である。しかしこれには史的イエスについての情報はなく、イエス実在人物だった証拠ならないと見なされている。例えばシャルル・ギニュベール(フランス語版)は『福音書』に描かれているイエス1世紀ガリラヤ生きて活動していたことについては疑っていないが、小プリニウスのこの手に関してイエス実在した証拠としては認められない判断している。

※この「小プリニウス」の解説は、「史的イエスの資料」の解説の一部です。
「小プリニウス」を含む「史的イエスの資料」の記事については、「史的イエスの資料」の概要を参照ください。

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