中世の村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 04:38 UTC 版)
中世の村は岸から350m、コナシェアの斜面のふもと、Tobar Childaの近くにある。最古の建物は地下通路で、Taigh an t-Sithiche(妖精の家を意味する)という名の2箇所の離れがあり、紀元前500年から紀元後300年までに作られている。セント・キルダ住民はそれが家または隠れ家だと信じていたが、最近の定説では氷室であったと推測されている。 野に広がる壁の遺跡とcleitean、そして蜂の巣状の離れを残す中世の住宅の残骸が大規模にある。隣は屋根のない長方形構造の「ウシの家」で、島のウシが冬の間入れられていた。ヘッド・ウォールのちょうど外側のTobar Childaは2つの水源によって供給されている。ウシやヒツジが境界内にある耕作地に出入りしないよう、Tobar Childaは村の周囲に築かれていた。そこには全部で25から30の家があった。そのほとんどが典型的なヘブリディーズ・デザインのブラック・ハウス(en、ヘブリディーズ諸島やハイランドで一般的な、モルタルなしで固められた石造の住宅)であった。しかし古い家の一部は持ち送り積みされてできていた。芝を切り取ったというよりむしろ芝で屋根を葺いていた。芝は雨や風を防ぐため使われた。そして古い蜂の巣状の家は、住居というよりむしろ緑で覆われた小塚に似ていた。
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