岩津家の家臣
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『三河物語』によると、三譜代は安城譜代・山中譜代・岡崎譜代であるが、徳川家の譜代家臣を指すので、岩津宗家時代の家臣団は必ずしもこれに当てはまらない。しかし、この時期に所属していた家臣の名は一部伝わっている。泰親の代とされる伝承に、三河細川に配流されていた「藤大納言」と称する人物の帰洛を護衛するために募った諸浪人に、宇津左衛門忠武(大久保氏祖)、成瀬藤蔵、林藤五郎、平岩七之助、天野清助がいたという(『三河海東記』)。 國學院大学の煎本増夫は「岩津譜代」として、以下の各氏を岩津宗家時代の家臣として指摘している。 《酒井氏(松平氏庶流)、大久保氏(称宇都宮流)、林氏(称小笠原流)、成瀬氏(称二条家末)、天野氏、横内氏(高力氏(称三河熊谷氏)惣領)、松永氏》 泰親は親氏とともに大久保氏など流れ者の浪人者を寄せ集め、徐々に三州松平郷を武力で横領の後、松平郷近辺を征服していったとする。これに対して、親氏・泰親までは有徳人としての徳による侵略活動であったと考え、また武装した中世の村と江戸時代の村を同一視できないとして、ならず者によるという武力征服説を否定する見方もある。
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