中世の正教会における修道の隆盛
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「キリスト教の歴史」の記事における「中世の正教会における修道の隆盛」の解説
この項の主要参考文献:。 14・15世紀の東ローマ帝国は上記の通り世俗的には様々な憂き目にあっていたが、正教会には新たな修道精神の勃興が起きていた。東ローマ帝国のアトス山の修道院においては、静寂主義とも訳されるヘシュカスムが、グレゴリオス・パラマスにより14世紀に体系化が完成された(なおこの時、ヘシュカスムを巡ってグレゴリオス・パラマスと対立、論争したバルラアムは、論争に敗れ東ローマ帝国を追放されたのち、ローマカトリック教会に迎えられて司教となった)。 ルーシにもそれまで少なく無い数の修道院があったが、東ローマ帝国の静寂主義の影響と修道熱の高まりも受けて14・15世紀には特に修道運動が活発化し、荒野修道院運動が起こっていた。後にロシア正教会最大の修道院、至聖三者聖セルギイ大修道院に発展する修道院が、ラドネジの聖セルギイによって1345年に創始された。 14・15世紀の、東ローマ帝国およびルーシの修道士達の足跡は、後代、正教会全体に大きな影響を及ぼすものとなった。当時ルーシで活躍したイコン画家であり修道士でもあったアンドレイ・ルブリョフのイコン『至聖三者』は、正教会のみならずカトリック教会でも使用される事があり、この時代、キリスト教会全体に与えた正教会の精神的影響は無視出来ない。
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