中世の異端尋問、異端主義と魔術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 14:22 UTC 版)
「ソドミー」の記事における「中世の異端尋問、異端主義と魔術」の解説
死刑を求めるベネディクトの強い主張は、寛容の慈悲という人道的なキリスト教の概念を基盤にした教会史には前例のないものだったが、上記偽教令の事件より数世紀後に、ベネディクトの求めたような法令の変更は大きな教会の主導で具体化される。 これは1184年に中世の異端審問(en)で現れる。キリスト教の分派カタリ派とワルドー派は公敵で、彼らは異端者として悪魔崇拝の疑いで迫害されただけでなく、次第に姦通やソドミー(肛門性交)で批難され始めた。ソドミーや同性愛に対する批判は、1307年テンプル騎士団の裁判(en)深刻な段階になっていた。批判はとりわけ騎士団の総長であるジャック・ド・モレーに向けられた。この出来事は同じように「ソドミー」の言葉と大きく関連付けられた中世から近代初期にかけての魔女狩りに繋がった。 ブルガリアにおけるカタリ派とボゴミル派の迫害によって、 "sodomy" とほぼ同義の "buggery" は、フランス語の "bouggerie" (「ブルガリアの」という意味) の語源となった。 異端主義、悪魔崇拝、魔術と「ソドミー」の言葉との関連性は、異端審問裁判で支持されていた。ソドミーの汚名は、同性愛者や性的異常者への差別や迫害のきっかけとなり中世時代の間に止むことはなかった[要出典]。
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