中世の白濱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 10:04 UTC 版)
上井覚兼日記によると白浜は安土桃山時代の天正10年(1582年)頃に上井覚兼の領下にあったとされる。天正11年(1583年)から天正13年(1585年)にかけて白浜村と本田正親領である二俣村の間で境界を巡る論争が起こった。向島郷の地頭の裁定により境界が確定されたが、二俣の住民はこれを受け入れずに境界線の変更を申し立てたが紛糾したとされる。
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