島津流桂氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 06:06 UTC 版)
島津忠国の四男勝久が日向国志布志の月野を領有したのに始まる。「月」の異称を「桂」ということから月野にちなみ、勝久の曾孫である忠俊が永禄2年(1559年)より島津姓を改め、その一族がみな桂の姓を名乗り始めた。 島津氏家臣として仕え、江戸時代の薩摩藩成立後は薩摩藩士として活動した。その際、桂の宗家は一所持とされ、 5代忠詮の子の忠増の系統は「外記家」として寄合衆、宗家と外記家以外の系統は小番家の家格とされた。 姓に関しては、藩主島津家久、さらに島津光久の子が養子となり継いだことで直別支流とされたことから、士分以下や他家の奉公人は称することが許されず、名乗っていたものは改姓を命じられた。また偏諱は、正徳年間以降より宗家と外記家とも嫡男は「久」の字とされ、それ以外は「勝」の字とされた。
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