島津義弘と小早川秀秋の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 14:55 UTC 版)
「伏見城の戦い」の記事における「島津義弘と小早川秀秋の動向」の解説
当初島津義弘と小早川秀秋は東軍に味方するつもりであったため、城側に入城の意思を示したが拒否され、やむなく西軍に属して城攻めに加わったとする説がある。 しかし前者は「島津家譜」、後者は「寛政重修諸家譜」等といずれも江戸時代成立の二次史料の記述を典拠としており、史実である確証は無い。
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