贈位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/29 13:39 UTC 版)
贈位(ぞうい)とは、生前に功績を挙げた者に対して、没後に位階を贈る制度。追贈、追賜ともいう。官職を贈る場合は贈官(ぞうかん)という(例:贈太政大臣)。
- ^ a b 及川祥平 2010, p. 88-89.
- ^ 「故毛利元就贈位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10110299200
- ^ 「故上杉輝虎外四名贈位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10110299500
- ^ 「故藤原惺窩外二名特旨贈位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10110508100
- ^ a b 及川祥平 2010, p. 90.
- ^ 及川祥平 2010, p. 97-98.
- ^ 及川祥平 2010, p. 98.
- ^ 及川祥平 2010, p. 99.
- ^ 及川祥平 2010, p. 103.
- ^ 及川祥平 2010, p. 107.
- ^ a b “栄典制度の在り方に関する懇談会第1回議事録”. 内閣府ホームページ. 2023年11月28日閲覧。
- ^ 及川祥平 2010, p. 89-90.
- ^ a b 及川祥平 2010, p. 92.
- ^ 及川祥平 2010, p. 100.
- ^ 「官吏に対する叙位及び叙勲並びに貴族院及び衆議院の議長、副議長、議員又は市町村長及び市町村助役に対する叙勲の取扱に関する件」 アジア歴史資料センター Ref.A17111111900
- ^ 「官吏に対する定例叙位叙勲に関する件」 アジア歴史資料センター Ref.A17111112100
- ^ 「官吏等に対する叙位及び叙勲の取扱に関する件(閣議決定)」 アジア歴史資料センター Ref.A17111113700
- ^ “第15回国会 衆議院 内閣委員会 第12号 昭和27年12月22日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム”. 2023年11月24日閲覧。
- ^ 「故農林技官高須兵司位階追陞の件」 アジア歴史資料センター Ref.A20040500000 、「故正二位牧野伸顕位階追陞の件」 アジア歴史資料センター Ref.A20040500500
- ^ “令和元年12月27日(金)午前 | 令和元年 | 官房長官記者会見 | ニュース”. 首相官邸ホームページ. 2023年11月29日閲覧。
- ^ 「故岡本兵松外3名の贈位について」 アジア歴史資料センター Ref.A22101347100
- ^ 「故直川智(すなおかわち)外1名の贈位について」 アジア歴史資料センター Ref.A22101509400
- ^ “栄典制度の在り方に関する論点の整理 VI. 叙勲、褒章と関連する制度 : 日本の勲章・褒章”. 内閣府ホームページ. 2023年11月27日閲覧。
- ^ “栄典制度の在り方に関する懇談会第7回議事録”. 内閣府ホームページ. 2023年11月28日閲覧。
- ^ “戦没者の叙位及び叙勲について”. ぎょうせい. 2023年11月27日閲覧。
贈位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/18 14:45 UTC 版)
没後570年近く経った1902年(明治35年)11月12日に、明治天皇より贈従三位に叙され、同日に父の菊池武時が従一位と、弟の菊池武光も贈従三位に叙された。
※この「贈位」の解説は、「菊池武重」の解説の一部です。
「贈位」を含む「菊池武重」の記事については、「菊池武重」の概要を参照ください。
贈位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/18 14:07 UTC 版)
1883年(明治16年)8月6日 - 贈従三位 没後570年近く経った1902年(明治35年)11月12日に、明治天皇より贈従一位に叙され、同日に子の菊池武重と菊池武光も贈従三位に叙された。
※この「贈位」の解説は、「菊池武時」の解説の一部です。
「贈位」を含む「菊池武時」の記事については、「菊池武時」の概要を参照ください。
贈位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 14:01 UTC 版)
大正4年(1915年)11月10日、正三位が追贈された。この日には他にも多くの歴史的人物への贈位がなされ、父・頼義も同日に正三位を贈られている。
※この「贈位」の解説は、「源義家」の解説の一部です。
「贈位」を含む「源義家」の記事については、「源義家」の概要を参照ください。
「贈位」の例文・使い方・用例・文例
品詞の分類
- >> 「贈位」を含む用語の索引
- 贈位のページへのリンク