佐倉惣五郎とは? わかりやすく解説

さくら‐そうごろう〔‐ソウゴラウ〕【佐倉惣五郎】

読み方:さくらそうごろう

江戸前期下総(しもうさ)佐倉領の義民本名木内惣五郎印旛郡公津(こうづ)名主領主重税将軍直訴して処刑されたという。江戸後期実録本講釈などによって広く世人知れ渡るようになった生没年未詳佐倉宗吾


佐倉惣五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/30 10:08 UTC 版)

佐倉 惣五郎(さくら そうごろう、生年不詳 – 承応2年8月3日(1653年9月24日)?[1][注釈 1])は、江戸時代前期の下総国佐倉藩領の義民として知られる人物[1][4][2]下総国印旛郡公津村(現在の千葉県成田市台方)の名主で、本名は木内 惣五郎(きうち そうごろう)[3]、通称は宗吾(そうご。惣吾[1]とも)とされる。


注釈

  1. ^ 世界大百科事典[2]、デジタル大辞泉[3]、日本大百科全書ニッポニカ[4]では、いずれも生没年不詳としている。
  2. ^ これらの物語の筋立てには、正徳元年(1711年)に安房国北条藩で発生した万石騒動の記録『万石騒動日録』(18世紀中葉以降成立)との類似も指摘されている[12](万石騒動も重税が原因であり、藩庁への門訴、江戸屋敷への門訴、老中への2度の駕籠訴と展開している)。万石騒動を参考に佐倉義民伝が作られたという解釈[13]もあるが、佐倉義民伝が『万石騒動日録』に及ぼしたという解釈もある[12]
  3. ^ 東勝寺によれば諡は「宗吾道閑居士」という[15]

出典

  1. ^ a b c d e f g 佐倉惣五郎”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(コトバンク所収). 2016年2月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 佐倉惣五郎”. 世界大百科事典 第2版(コトバンク所収). 2016年2月26日閲覧。
  3. ^ a b c 佐倉惣五郎”. 大辞泉コトバンク所収). 2016年2月26日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 林基. “佐倉惣五郎”. 日本大百科全書ニッポニカ(コトバンク所収). 2016年2月26日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 義民の世界 佐倉惣五郎伝説”. 国立歴史民俗博物館. 2016年2月26日閲覧。
  6. ^ 児玉幸多 『佐倉惣五郎』吉川弘文館、1958年11月、189頁。 
  7. ^ a b c d e 鏑木行廣「市史講座「佐倉惣五郎と宗吾信仰」」(pdf)『紙ふうせん(成田市立図書館だより)』第50号、成田市立図書館、2002年1月30日、2016年2月26日閲覧 
  8. ^ 大野政治 『地蔵堂通夜物語』崙書房、1978年12月。 
  9. ^ 青柳嘉忠 『研究史佐倉惣五郎』佐倉市文化財保護協会、1981年11月、21-47頁。 
  10. ^ 青柳嘉忠 『研究史佐倉惣五郎』佐倉市文化財保護協会、1981年11月、11-20頁。 
  11. ^ a b c 荻原大地「<場>の虚構・<血縁者>の虚構-『佐倉花実物語』の創作方法-」『早稲田大学大学院教育学研究科紀要 : 別冊』第26巻第1号、早稲田大学大学院教育学研究科、2018年9月、15-24頁。 
  12. ^ a b 深谷克己. “万石騒動日録”. 日本大百科全書ニッポニカ(コトバンク所収). 2016年2月26日閲覧。
  13. ^ 横山十四男. “根本五左衛門”. 日本大百科全書ニッポニカ(コトバンク所収). 2016年2月26日閲覧。
  14. ^ 八代市泉第八小学校 五家荘の偉人・佐倉 宗吾(さくら そうご)伝説 (泉第八小学校児童への講話) 八代市泉町葉木在住 民宿・佐倉荘経営 緒方 勢一
  15. ^ a b c d 宗吾霊堂縁起”. 東勝寺. 2016年2月26日閲覧。
  16. ^ 成田市観光ガイド(宗吾霊堂)”. 成田市観光課. 2016年2月26日閲覧。
  17. ^ a b c 吉川芳夫「郷土の資源佐倉神社(宗吾霊堂)~日本で最も古い佐倉神社が、なぜ飯田にあるのか?~」(pdf)『飯伊地区産業経済動向』第413号、飯田信用金庫、2003年8月、8-11頁、2016年2月27日閲覧 
  18. ^ 佐倉宗吾郎を祀る神社 「佐倉神社」”. 新まつもと物語. 松本市 (2010年4月10日). 2016年2月27日閲覧。
  19. ^ 佐倉神社”. みなみ信州農業協同組合. 2016年2月27日閲覧。
  20. ^ 宗吾殿”. 台東区の史跡・名所案内. 台東区. 2016年2月27日閲覧。
  21. ^ “浅草寿の「宗吾殿」へ。: 後藤健太郎のブログ” (日本語). 後藤健太郎のブログ. http://blog.livedoor.jp/gotokentarou/archives/68668808.html 2018年7月25日閲覧。 
  22. ^ 神社のご案内”. 古町愛宕神社. 2016年2月27日閲覧。
  23. ^ a b 惣五郎伝説”. 世界大百科事典コトバンク所収). 2016年2月26日閲覧。
  24. ^ a b 荻原大地「「佐倉惣五郎物」実録の系譜―『佐倉花実物語』の位置づけをめぐって―」『近世文藝』第107号、日本近世文学会、2018年1月、31-42頁、doi:10.20815/kinseibungei.107.0_312019年5月19日閲覧 
  25. ^ 東山桜荘子”. デジタル大辞泉コトバンク所収). 2016年2月26日閲覧。
  26. ^ a b c d 松井俊諭. “佐倉義民伝”. 日本大百科全書ニッポニカ(コトバンク所収). 2016年2月26日閲覧。
  27. ^ a b c d 林基. “東山桜荘子”. 日本大百科全書ニッポニカ(コトバンク所収). 2016年2月26日閲覧。
  28. ^ a b 義民物”. 世界大百科事典 第2版(コトバンク所収). 2016年2月26日閲覧。
  29. ^ 横山十四男. “小木曽猪兵衛”. 日本大百科全書ニッポニカ(コトバンク所収). 2016年2月27日閲覧。
  30. ^ 惣五郎とかぶき的心情~「佐倉義民伝」の心情的分析
  31. ^ 『学問のすすめ』第七編
  32. ^ 日本児童文学者協会編 『児童文学読本 (日本児童文学別冊)』 すばる書房盛光堂, 1975年.


「佐倉惣五郎」の続きの解説一覧

佐倉 惣五郎(さくら そうごろう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 03:09 UTC 版)

平成義民伝説 代表人」の記事における「佐倉 惣五郎(さくら そうごろう)」の解説

かつて下総国百姓一揆指導した佐倉惣五郎の子孫。彼の命を狙う刺客対し必殺技大人の事情」で相手粉砕する戦い最中絶命したと思われたが、下敷きになり『ど根性ガエル』ピョン吉のようになる元ネタは『餓狼伝』に登場する泣き虫サクラ

※この「佐倉 惣五郎(さくら そうごろう)」の解説は、「平成義民伝説 代表人」の解説の一部です。
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