天一坊改行とは? わかりやすく解説

天一坊改行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/11 06:49 UTC 版)

てんいちぼう かいぎょう

天一坊 改行
生誕 元禄12年6月7日1699年7月3日
日本紀州田辺
死没 享保14年4月21日1729年5月18日
日本武蔵国江戸鈴ヶ森刑場
死因 斬首刑により斬首された事による。
住居 日本
国籍 日本
職業 山伏
活動期間 1713年 - 1729年
時代 江戸時代中期
罪名 将軍徳川吉宗御落胤と称した。
刑罰 死罪獄門
犯罪者現況 1729年5月18日斬首刑執行により斬首され死亡
父:不詳
母:よし
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天一坊 改行(てんいちぼう かいぎょう、元禄12年6月7日1699年7月3日) - 享保14年4月21日1729年5月18日))は、江戸時代中期の山伏源氏坊 天一(げんじぼう てんいち)とも。将軍徳川吉宗御落胤を称して世上を騒がせ町奉行により処刑された(天一坊事件[1]

来歴

元禄12年(1699年)、誕生。紀州田辺の生まれで、幼名は半之助というが真偽のほどは定かではない。母は「よし」といい、和歌山城に奉公に上がり、紀州藩主時代の吉宗の手がついて里へ帰され、産まれたのが改行だという。

14歳のときに母が死んだのを機に出家して山伏となり、改行と名乗った。この頃から自分は御落胤だと言いふらしていたという。

享保13年(1728年)、南品川宿に現れた改行は、近々大名に取立てになると称して浪人を集めた。不審に思った関東郡代が取り調べ、享保14年(1729年)に捕らえられた。勘定奉行稲生正武の裁きを受けて死罪となり、鈴ヶ森刑場獄門となった。

天一坊が登場する作品

脚注

関連項目

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