こう‐しゃく〔カウ‐〕【講釈】
こうしゃく 【講釈】
講談
(講釈 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 08:50 UTC 版)
講談(こうだん)とは、演者が高座におかれた
注釈
- ^ 1913年6月下旬、東京の講談師が『講談倶楽部』の浪花節掲載に反対し、講談の寄稿を拒否、同誌9月号より文士による「新講談」を掲載した。『講談社の歩んだ五十年』
- ^ 各一門でも支持が分かれたケースもあり、二代目山陽一門の中では達山が解散賛成派に回ったため、山陽から破門されている。また、五代目一龍斎貞丈門下でも、六代目一龍斎貞丈は解散反対派(ただし立場は中立に近く、分裂後はどちらも属さずフリーとなった)、弟弟子の貞水と六代目貞丈の直弟子である貞正が解散賛成派に回るなど、一門内での分裂もみられた。
- ^ 落語芸術協会でも前座として修業し、真打昇進披露を行っているのは、三代目山陽、京子、鯉栄、蘭、六代目伯山の5名。さらに2024年5月には真紅が真打に昇進し「三代目松林伯知」を襲名する予定。2023年8月現在では紅門下の紅佳、六代目伯山門下の梅之丞、青之丞、若之丞が芸協で前座修業を行っている。
- ^ なお「玉田玉秀斎」の名跡は2016年に旭堂南陽(大阪講談協会、後にフリーランス)が四代目として襲名し、約100年ぶりの名跡復活となった[9]。
- ^ 現在は一鶴一門を離れている。講談師としての活動は継続しており、講談協会にも所属している。
- ^ 現在は鶴女一門を離れている。講談師としての活動は継続しており、講談協会にも所属している。寄席演芸家名鑑に倣い、この位置に表記する。
- ^ 二代目山陽が落語芸術協会にも籍を置いていたことも提携の背景にあった。
- ^ 講談協会移籍時に六代目小金井芦州門下へ。
- ^ 山陽の死後、落語家の五代目柳亭痴楽門下に移籍。
- ^ なみはや講談協会会友。名古屋を活動拠点としている。
- ^ a b 大阪講談協会退会後に旭堂南鷹の預かりとなり「チーム南鷹」として活動。
出典
- ^ 岡本勝・雲英末雄『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、129頁。
- ^ “140.ポルノ講談とは何か”. 小金井芦州啖呵を切る (2008年3月1日). 2023年9月2日閲覧。
- ^ “139.講談協会分裂と統一の真相”. 小金井芦州啖呵を切る (2008年2月25日). 2023年9月2日閲覧。
- ^ “142.協会分裂新聞記事 :”. 小金井芦州啖呵を切る (2008年3月5日). 2023年9月2日閲覧。
- ^ a b c “145.(余滴)講談協会分裂小史”. 小金井芦州啖呵を切る (2008年3月16日). 2020年10月6日閲覧。
- ^ “講談師、女流が「主流」 全体の過半数に”. asahi.com (朝日新聞社). (2008年5月22日) 2020年10月6日閲覧。
- ^ “講談界に24年ぶり男真打ち誕生”. 東スポWeb (2012年10月17日). 2017年1月31日閲覧。
- ^ 神田伯山 講談の人気を復活させたYouTubeとラジオ活用 - 日経クロストレンド 2020年9月11日
- ^ 「とにかく頑張りたい」上方講談、旭堂小南陵と玉田玉秀斎ダブル襲名 - 産経ニュース 2016年11月25日
- ^ a b 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典』 2巻、岩波書店、1984年1月、512-513頁。
- ^ “143.第二次講談協会分裂の真相”. 小金井芦州啖呵を切る (2008年3月8日). 2020年10月6日閲覧。
- ^ a b “138. 弟子のはなし”. 小金井芦州啖呵を切る (2008年2月24日). 2023年9月2日閲覧。
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