神田翠月とは? わかりやすく解説

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神田翠月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/17 01:54 UTC 版)

神田かんだ 翠月すいげつ
本名 遠藤えんどう 朝子あさこ
生年月日 1943年8月24日
没年月日 (2020-12-02) 2020年12月2日(77歳没)
出身地 静岡県浜松市
死没地 千葉県船橋市
師匠 田辺一鶴
二代目神田山陽
名跡 1.田辺小鶴
(1968年 - 1976年)
2.はまな翠月
(1976年 - 1980年)
3.神田翠月
(1980年 - 2020年)
活動期間 1968年 - 2020年
活動内容 講談師
所属 講談協会

神田 翠月(かんだ すいげつ、1943年8月24日[1] - 2020年12月2日[2])は、講談師。本名:遠藤 朝子

経歴

静岡県浜松市有玉南町生まれ。浜松市立積志中学校静岡県立浜名高等学校卒業。

歌手を目指し上京後、1968年2月、田辺一鶴に弟子入り「小鶴」。女流講談師の草分けの一人。1971年3月二ツ目昇進。1976年5月真打昇進「はまな翠月」。

1979年神田山陽(2代目)門下に移る。

1980年9月「神田翠月」と改名。

講談協会副会長[3]・常任理事兼監査役などを歴任。師の山陽が日本講談協会に移っても講談協会にとどまった。

2020年12月2日、がんのため千葉県船橋市の病院で死去。葬儀は近親者のみで執り行われた。

CD

外部リンク

脚注

  1. ^ 『東西寄席演芸家名鑑』東京かわら版 東西寄席演芸家名鑑、2015年9月5日、200頁。 
  2. ^ “神田翠月さん死去 講談師”. 東京新聞. (2020年12月7日). https://www.tokyo-np.co.jp/article/72836 
  3. ^ 永谷商事が七福神めぐり、神田翠月と歩く「日本橋8神社」”. 銀座新聞ニュース (2013年1月2日). 2021年4月4日閲覧。



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