たいへいき【太平記】
たいへいき 【太平記】
太平記
主名称: | 太平記 |
指定番号: | 986 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1909.04.05(明治42.04.05) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 12冊 |
時代区分: | 室町 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 室町時代の作品。 |
太平記〈吉川元春筆/〉
主名称: | 太平記〈吉川元春筆/〉 |
指定番号: | 1995 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1959.12.18(昭和34.12.18) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | 各冊自永禄六年至同八年書写奥書 |
員数: | 40冊 |
時代区分: | 室町 |
年代: | 1563~65 |
検索年代: | |
解説文: | 室町時代の作品。 |
太平記
主名称: | 太平記 |
指定番号: | 2063 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1962.02.02(昭和37.02.02) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 13冊 |
時代区分: | 室町 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 室町時代の作品。 |
書跡・典籍: | 太子刷護経 太平記 太平記 太平記 太平記拔書 吉利支丹版 央掘魔羅経 夾註法華経 |
太平記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/17 11:52 UTC 版)
『太平記』(たいへいき)は、日本の古典文学作品の1つである。いわゆる歴史文学に分類され、「日本の歴史文学の中では最長の作品」とされる[1]。ジャンルは軍記物語。成立は室町時代。
注釈
- ^ 「独清」は玄恵の号である「独清軒」のことか 「再治」は再び編集すること、「鴻書」とは大部の書の意味。
- ^ 『太平記』自体の作中記事で、もっとも新しい年代記述は応安4年(1371年)以降の斯波義将追討の件である。
- ^ ただし「天下」と「太平記」の間に改行があり、「近日天下に翫ぶ太平記」は「近日翫ぶ天下太平記」と読むべきだという意見もある。なおこの記事と『太平記』との関連が指摘されたのは、明治19年に重野安繹によるもの。
- ^ 米沢本、京大本系統など。
- ^ 大隅は『太平記』の書名は宋の類書である『太平御覧』に因んだものとする説を紹介しており、仮にこの説が正しければ、最初から軍記物ではなく、「小説の体をとった百科事典」として制作されたいうことになる。
- ^ 巻32は諸本間の異同が大きく、永和本系統と他もう一系統の大きく2つにわかれ、古態本の中にはこの両方を併記したものもあり、後出本の中には二系統を混合したものもある。
- ^ 重野=進歩的、川田=保守的という思想的対立に理由を求める見方には誤りがある[要出典]。
出典
太平記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/22 16:35 UTC 版)
軍記物語『太平記』によれば、頼豪の怨念は石の体と鉄の牙を持つ8万4千匹ものネズミとなって比叡山を駆け上り、経典ばかりか仏像をも食い破ったとされる。
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太平記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 09:51 UTC 版)
『太平記』は、「桜山の所存」として次のように述べ、挙兵は荒れた一宮を再興するためであり、社殿への放火は後代の造営を期待しての捨て身の行為であったと説明している。 「桜山入道は吉備津神社を長年にわたり尊く崇めており、その社殿があまりにも破損いることを嘆き、造営しようと大願を欲していた。しかし事が大事業であるので、志あるのみで財力が伴わなかった。この度後醍醐天皇の謀反に協力したのも専らその大願を遂げたいが為である。しかしこの願いは叶えられず、討死にしようとしたとき、「我々がこの社殿を焼き払えば、朝廷・幕府共に造営はやむを得ないという話になるだろう。この身は地獄に落ちようとも、この願いさえ成し遂げたならば悲しむべきではない」と猛々しい心をおこして、社殿で焼け死んだのである。仏の、衆生を救おうとの慈悲深い願いを思えば、順縁・逆縁のいずれも衆生を救い利益を与える手段なので、社殿に放火することは現世ではあるまじき重罪ではあるが、来世での救いを得る手がかりになろうかと、実はその信心の深さが忍ばれるのであった。」
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太平記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 14:15 UTC 版)
「太平記」も参照 南北朝末期の『太平記』巻三十九「神功皇后攻新羅給事(しらぎをせめたまうこと)」では、『八幡愚童訓』と同じように神の加護で新羅征討をなしとげたとあるが「三韓の夷(えびす)」という語が新たに登場し、その三韓は同時代の高麗と理解されている。
※この「太平記」の解説は、「三韓征伐」の解説の一部です。
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「太平記」の例文・使い方・用例・文例
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