太平記における怪鳥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:25 UTC 版)
『太平記』によれば1334年(建武元年)の秋、疫病が流行して病死者が多く出た頃、毎晩のように紫宸殿の上に怪鳥が現れ「いつまでも、いつまでも(ほったらかしにするのか)」と鳴いて人々を恐れさせていた。公卿たちは源頼政の鵺退治にちなんで弓の名手に退治させようと考え、依頼を受けた現真弓広有、隠岐次郎左衛門広有は鏑矢(かぶらや)で見事、怪鳥を射止めた。その怪鳥は顔が人間のようで、曲がったくちばしに鋸のような歯が並び、体はヘビのようで、両足の爪は剣のように鋭く、翼長は1丈6尺(約4.8メートル)もあったという。 『太平記』において、この鳥は「怪鳥」と記述されているのみで明確な名前などは記載されていない。『今昔画図続百鬼』において付された「以津真天」という名称は、鳥山石燕がこの逸話を『今昔画図続百鬼』に描く際、その鳴き声をもとに名づけたものとされる。『太平記』の記述を元として描かれた江戸時代の武者絵においても、化鳥としての姿や黒雲などにその存在を感じさせる描写で描かれているが、「いつまで」という名称の使われたものは確認されていない。
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