『太平記』の記述とは? わかりやすく解説

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『太平記』の記述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/14 09:36 UTC 版)

真木定観」の記事における「『太平記』の記述」の解説

延元元年1336年12月に、足利尊氏等によって、幽閉されていた後醍醐天皇が京を脱出河内国経由し吉野吉水院潜幸したときに楠木正行和田次郎真木定観三輪西阿らが供奉した。これが定観の初見である。ただし、大般若経奥書正平15年1360年7月4日記述に「6月30日25年期忌」とあり逆算する延元元年1336年6月30日死去となる。 圧倒的に優位であった北朝側は、観応の擾乱による内紛のため、南朝に対して足利尊氏便宜的に(あるいは偽の)降服申し入れたこのため正平一統成立し南朝動きが活発となり、正平6年1351年2月26日後村上天皇賀名生奈良県五條市)から住吉大阪市住吉区)に行幸した。東条一泊翌朝住吉大社向かった和田正武楠木正儀、定観、三輪西阿湯浅宗藤山本判官熊野八庄司武士団吉野十八郷の武士ら、総勢7000余がこれを警護した

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『太平記』の記述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 07:42 UTC 版)

赤坂城の戦い」の記事における「『太平記』の記述」の解説

笠置山陥落せしめた幕府軍はその他関東からの軍を加え大軍以って赤坂城へと攻め寄せた。その軍勢30万余騎にのぼったという。 9月11日幕府軍赤坂城包囲した幕府の兵は城の貧弱さ見て一日持ちこたえられないだろうと感じ、馬を降りて一斉に城へ襲い掛かった。だが、楠木正成は城に200余人籠城し、弟の楠木正季和田正遠300余人預けて近くの山に布陣させていた。正成は幕府軍四方切り立った城壁に来たところで兵らに狙い違わずに矢を射続させたため、死傷者は1,000余人及んだその後幕府軍1、2日で城が落とせいだろう判断し各々武将は陣を構え鎧兜脱ぎ、馬から鞍を下ろして休憩入った。だが、隠れていた楠木正季和田正遠がこの時にすかさず押し寄せ二手分かれた軍勢鬨の声上げ魚鱗の陣幕府軍突撃した。城にいた正成の軍もすかさずに城の3つの木戸同時に開き幕府軍突撃し速射して攻撃した幕府軍混乱に陥り、なかには馬や鎧兜置き去りにするものがいながらも、石川河原にまで退却したその後幕府軍攻撃再開し城壁の下まで行き埋めてある逆茂木抜いて城に討ち入ろうとした。だが、城からは物音一つしなかったため、幕府軍はまた乱戦持ち込む気だろうと考え10万余騎を山に向かわせ、残り20万余騎で城を囲んだ。だが、城からは物音ひとつせず、一夜もいられてこないため、四方の塀に手をかけて皆で乗り越えようとした。 だが、この塀は2重になっており、縄で支えられている外側の堀は切り落とせるようになっていた。城の中で待機していた兵は幕府軍が塀に手をかける一斉に切り落とし寄せ手の1,000余人は皆地面落とされ、上から大木大石投げかけられた。この日の戦闘でも幕府軍敗北し700余人戦死した幕府軍戦術変えて再び城を攻めた釣塀警戒した幕府軍の兵らは盾を頑丈にし、その上で堀の中から熊手で塀を引き倒す作戦出た。やがて、塀が引き倒されるかと思われたとき、楠木軍は一、二丈の長さ柄杓熱湯をかけ、幕府軍追い払った。この攻撃によって火傷負った者が2、300余人出た以降幕府軍一切戦闘をせず、各陣は築き逆茂木造って包囲するだけの作戦出た一方赤坂城急造の城であったことで大量兵糧用意できておらず、戦い始まって20日ほどで兵糧尽きた。そのため、長期戦不可能と考えた正成は諸将相談し赤坂城放棄することにした。 同年10月21日夜、正成は大穴これまでの戦いで戦死した死体入れて赤坂城火を放ち幕府軍に城を奪わせた。幕府軍赤坂城大穴見分けつかない焼死体を20-30体発見し、これを楠木正成とその一族思い込んで同年11月関東帰陣した。この時、楠木正成自害し遺体味方の手隠されということにされたが、正成は密かに落ち延びていた。 以後、正成は正慶元年1332年4月赤坂城湯浅宗藤幕府が正成に代えて赤坂城配置した人物)を襲撃するときまで消息不明となった一方護良親王赤坂城逃げたのち、十津川熊野へと逃れ正慶元年11月吉野幕府に対して挙兵した。

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