『太平記』の記述
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延元元年(1336年)12月に、足利尊氏等によって、幽閉されていた後醍醐天皇が京を脱出。河内国を経由し吉野吉水院へ潜幸したときに楠木正行、和田次郎、真木定観、三輪西阿らが供奉した。これが定観の初見である。ただし、大般若経奥書の正平15年(1360年)7月4日の記述に「6月30日25年期忌」とあり逆算すると延元元年(1336年)6月30日死去となる。 圧倒的に優位であった北朝側は、観応の擾乱による内紛のため、南朝に対して足利尊氏が便宜的に(あるいは偽の)降服を申し入れた。このため正平一統が成立し、南朝の動きが活発となり、正平6年(1351年)2月26日、後村上天皇が賀名生(奈良県五條市)から住吉(大阪市住吉区)に行幸した。東条に一泊の翌朝、住吉大社へ向かった。和田正武、楠木正儀、定観、三輪西阿、湯浅宗藤、山本判官、熊野八庄司武士団、吉野十八郷の武士ら、総勢7000余がこれを警護した。
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『太平記』の記述
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笠置山を陥落せしめた幕府軍はその他関東からの軍を加え、大軍を以って赤坂城へと攻め寄せた。その軍勢は30万余騎にのぼったという。 9月11日、幕府軍が赤坂城を包囲した。幕府の兵は城の貧弱さを見て一日持ちこたえられないだろうと感じ、馬を降りて一斉に城へ襲い掛かった。だが、楠木正成は城に200余人で籠城し、弟の楠木正季と和田正遠に300余人を預けて近くの山に布陣させていた。正成は幕府軍が四方の切り立った城壁に来たところで兵らに狙い違わずに矢を射続させたため、死傷者は1,000余人に及んだ。 その後、幕府軍は1、2日で城が落とせないだろうと判断し、各々の武将は陣を構え、鎧兜を脱ぎ、馬から鞍を下ろして休憩に入った。だが、隠れていた楠木正季と和田正遠がこの時にすかさず押し寄せ、二手に分かれた軍勢は鬨の声を上げ、魚鱗の陣で幕府軍に突撃した。城にいた正成の軍もすかさずに城の3つの木戸を同時に開き、幕府軍に突撃し、速射して攻撃した。幕府軍は混乱に陥り、なかには馬や鎧兜を置き去りにするものがいながらも、石川の河原にまで退却した。 その後、幕府軍は攻撃を再開し、城壁の下まで行き、埋めてある逆茂木を抜いて城に討ち入ろうとした。だが、城からは物音一つしなかったため、幕府軍はまた乱戦に持ち込む気だろうと考え、10万余騎を山に向かわせ、残り20万余騎で城を囲んだ。だが、城からは物音ひとつせず、一夜もいられてこないため、四方の塀に手をかけて皆で乗り越えようとした。 だが、この塀は2重になっており、縄で支えられている外側の堀は切り落とせるようになっていた。城の中で待機していた兵は幕府軍が塀に手をかけると一斉に切り落とし、寄せ手の1,000余人は皆地面に落とされ、上から大木や大石を投げかけられた。この日の戦闘でも幕府軍は敗北し、700余人が戦死した。 幕府軍は戦術を変えて再び城を攻めた。釣塀を警戒した幕府軍の兵らは盾を頑丈にし、その上で堀の中から熊手で塀を引き倒す作戦に出た。やがて、塀が引き倒されるかと思われたとき、楠木軍は一、二丈の長さの柄杓で熱湯をかけ、幕府軍を追い払った。この攻撃によって火傷を負った者が2、300余人出た。 以降、幕府軍は一切の戦闘をせず、各陣は櫓を築き、逆茂木を造って包囲するだけの作戦に出た。一方、赤坂城は急造の城であったことで大量の兵糧が用意できておらず、戦いが始まって20日ほどで兵糧が尽きた。そのため、長期戦は不可能と考えた正成は諸将と相談し、赤坂城を放棄することにした。 同年10月21日夜、正成は大穴にこれまでの戦いで戦死した死体を入れて、赤坂城に火を放ち、幕府軍に城を奪わせた。幕府軍は赤坂城の大穴に見分けのつかない焼死体を20-30体発見し、これを楠木正成とその一族と思い込んで、同年11月に関東へ帰陣した。この時、楠木正成は自害し、遺体は味方の手で隠されたということにされたが、正成は密かに落ち延びていた。 以後、正成は正慶元年(1332年)4月に赤坂城の湯浅宗藤(幕府が正成に代えて赤坂城に配置した人物)を襲撃するときまで消息不明となった。一方、護良親王は赤坂城を逃げたのち、十津川や熊野へと逃れ、正慶元年11月に吉野で幕府に対して挙兵した。
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