『太平記』以降
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南北朝時代後期に書かれた軍記物語『太平記』(1370年ごろ完成)では、様々な伝説が付加され、忠孝両全の英雄として物語られた。やがて『太平記』の伝説に基づき、明治維新の尊王思想の模範とされた。明治9年(1876年)には、従三位を追贈された。明治10年(1877年)2月17日、明治天皇は大和国(奈良県)への行幸の際、正行を追悼して、「汝正行、父ノ志ヲ継キ、力ヲ王事ニ尽シ、遂ニ国難ニ斃ル。朕.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}甚(その)世忠ヲ追感ス。今大和ニ幸スルニ因リ、使ヲ遣シ汝ノ墓(おくつき)ヲ弔シ、且金幣ヲ賜フ」との勅語を発した。明治22年(1889年)には殉節地の地元有志等による正行を初め楠木一族を祀る神社創祀の願いが容れられ別格官幣社として社号を与えられ、翌明治23年(1890年)に社殿が竣功し正行を主祭神とする四條畷神社が創建された。さらに明治30年(1897年)には従二位が追贈された。
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