『太平記』『梅松論』
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建武2年(1335年)12月8日、京都を目指す足利尊氏・足利直義らの軍勢と、これを阻む新田義貞の官軍が駿河国・相模国の国境で戦った(箱根・竹ノ下の戦い)。『梅松論』では藍沢原での合戦として登場するほか、当時の軍忠状でも「愛沢原合戦」と伝わる(「野本鶴寿丸軍忠状」)。『太平記』ではこれを竹之下の戦いとしている。
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