藍沢原とは? わかりやすく解説

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藍沢原

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 20:26 UTC 版)

藍沢原(あいざわがはら)は静岡県東部(駿河国)の歴史的地名である[1]富士山の東麓から箱根山の西麓にかけての広い範囲を指し、現在の駿東郡小山町御殿場市裾野市長泉町沼津市三島市にまたがる[1]


注釈

  1. ^ 大森氏の系譜図によると、大森氏の祖は「鮎沢庄」に土着した藤原惟康であるとされている。その3代目のときに庶子が葛山郷に分家して葛山氏を名乗り、嫡流はその次代に大森氏を名乗るようになったという。大森氏の本拠は裾野市深良や竹之下を転々としたと伝わるが、よくわかっていない[9]
  2. ^ 正長元年(1428年)に将軍足利義持が死去した頃から、将軍の後釜を狙う鎌倉公方足利持氏と、別系統の足利義教を擁立する幕府方が対立するようになった。幕府方は、鎌倉方を牽制するため、駿河国と相模国の国境地帯にあたる藍沢原の郷のいくつか(大森氏の旧領)を幕府方の武田信満に与えようとした。しかし、武田信満がこれを辞退したため、葛山氏に与えられた[10]
  3. ^ この部分の「藍沢原」を別の場所(横浜市瀬谷区相沢など)とする説もある[要出典]
  4. ^ この時期、源範頼が率いる源氏軍は平家を追って中国地方まで攻め入っていた[15]北条義時はその副将である。しかし、率いる遠征軍は船もなく、瀬戸内海を自由に行き来する平家軍によって補給線を断たれて「最悪の事態[15]」に陥っていた。源範頼は救援を求めて何度も鎌倉へ書状を送っていた[15]。事態打開のため、この直後の2月17日に屋島の戦いが起きる[15]
  5. ^ 「田村大道」は鎌倉街道の一つ。鎌倉から藤沢・茅ヶ崎一宮・寒川・平塚田村・伊勢原・秦野・大井・桑原を経て小田原に至る。現代の国道246号国道255号などに相当[17]
  6. ^ 小田原から沼津へは、足柄峠経由だと起伏は穏やかだが遠回りで、箱根峠経由だと起伏が激しいが近道であった[13]。この場合は目的地が藍沢原なので、足柄峠経由は行程が楽な上に近道である[13]
  7. ^ 梅松論』と『太平記』では合戦の経緯に細かい齟齬があり、日付や場所、ときには人名が食い違っている[21]。『太平記』では、12月11日に鎌倉を出た足利軍は、箱根を目指す尊氏隊と竹之下を目指す直義隊に軍を分け、12月12日に竹之下で直義隊と新田軍の戦闘が起きる[21]。『梅松論』では尊氏隊は12月10日に足柄峠に布陣し、翌12月11日に尊氏隊が藍沢原で新田軍と戦闘になる[21]。後世に著されたと考えられるこれら軍記物語に較べると、同時代的な史料である軍忠状や宛行状のほうが断片的でも信頼性が勝ると考えられていて、藍沢原の合戦での先陣の功を報奨した「野本鶴寿丸軍忠状」の存在は藍沢原の合戦の史実性の証拠とみなされている[21]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 『角川日本地名大辞典22 静岡県』pp. 45-46「藍沢原」
  2. ^ a b c 『角川日本地名大辞典22 静岡県』p. 1092「御殿場市〔古代〕横走駅と横走関 大沼鮎沢御厨」
  3. ^ a b 国立公文書館、「旗本御家人II 幕臣たちの実像」30 阿部正信(生没年不詳)、『駿国雑志』。2019年8月17日閲覧。
  4. ^ 平凡社、『百科事典マイペディア』、「黄瀬川宿」コトバンク版。2019年8月17日閲覧。
  5. ^ a b c d e 『角川日本地名大辞典22 静岡県』pp. 222-223「大沼鮎沢御厨」
  6. ^ a b c d e 『日本荘園大辞典』p. 340「大沼鮎沢御厨」。
  7. ^ a b 『日本の文化地理 8 静岡・山梨・長野』p. 97。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『角川日本地名大辞典22 静岡県』pp. 1092-1093「御殿場市〔中世〕在地領主大森氏とその一族 葛山氏と深沢城の攻防」
  9. ^ 『静岡大百科事典』p. 121「大森城跡」
  10. ^ a b c d e f g h 静岡県立中央図書館歴史文化情報センター、資料に学ぶ静岡県の歴史、中世、20 将軍と鎌倉公方の対立の狭間で : 葛山氏と大森氏 (PDF) 。2019年8月18日閲覧。
  11. ^ a b c 『角川日本地名大辞典22 静岡県』p. 1126「裾野市〔中世〕大森氏と葛山氏 葛山氏の所領」
  12. ^ 『静岡大百科事典』p. 164「葛山城跡」
  13. ^ a b c 『角川日本地名大辞典22 静岡県』p. 1327「小山町〔中世〕鮎沢御厨 箱根竹の下の戦 駿甲相の抗争」
  14. ^ a b c 『角川日本地名大辞典22 静岡県』p. 1093「御殿場市〔近世〕江戸期の村々 新田開発 御厨一揆」
  15. ^ a b c d 『吾妻鏡事典』pp. 10-11
  16. ^ a b c 『曽我物語』(現代語で読む歴史文学)pp. 212-216「兄弟、曽我の里を振り返りつつ箱根路を行く」
  17. ^ 『真名本 曾我物語 2』(東洋文庫)p. 108、注4。
  18. ^ 『真名本 曾我物語 2』(東洋文庫)p. 71。
  19. ^ a b 『曽我物語(物語の舞台を歩く)』p. 93。
  20. ^ a b c d e バージニア大学ピッツバーグ大学、Japanese Text Initiative、“Kaidoki”(朝日新聞社日本古典全書版(1951年))、海道記全文「一四 木瀬川より竹の下」。2019年8月18日閲覧。
  21. ^ a b c d e f 静岡県立中央図書館歴史文化情報センター、資料に学ぶ静岡県の歴史、中世、19 太平記・梅松論からみた「箱根・竹之下の戦い」 : どちらの史料が正確か?”. 2015年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月20日閲覧。


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