『海道記』
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その直後の1223年4月15日にこの地を通過した作者(氏名不詳)が著した『海道記』(1223年成立)では、木瀬川(黄瀬川)を出発してすぐの「遇澤といふ野原」として描かれている。作者一行は、どこまで続くのかもわからない富士山の広大な裾野を延々と進みながら、「納言(権中納言藤原宗行)はここにてはやく暇候ふべしと聞えける」「按察使(按察使藤原光親)、前左兵衞督(源有雅)同じくこの原にて末の露もとの雫とおくれ先立ちにけり」(『海道記』一四 木瀬川より竹の下)と、藤原宗行らの末路に思いを馳せつつ、次のように詠む。 思へばなうかりし世にもあひ澤の 水のあわとや人の消えなん
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