近藤瓶城とは? わかりやすく解説

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近藤瓶城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/12 16:48 UTC 版)

近藤 瓶城(こんどう へいじょう、天保3年2月19日1832年3月21日) - 明治34年(1901年7月19日)は幕末明治時代日本漢学者。本姓は安藤。名は宗元。字は君元。通称ははじめ元三郎、後に圭造とあらためた[1][2]。別号は省斎。

生涯

三河国岡崎藩の儒学者[2]。藩の議官に進み枢機に関与した[3]。岡崎藩は譜代であったために幕末維新に際しては進退に窮したが、藩侯を助け大過なからしめた。維新後、藩校允文館学監などをつとめ[4]たのち職を退き、代言業を辛苦経営したが奸人に欺かれたり変災によって挫折することがしばしばであった[3]

後に『群書類従』に未収録の史籍の刊行をめざし東京に近藤活版所をつくる[4]。1881年(明治14年)から全538巻の『史籍集覧』を出版した[4]。『続史籍集覧』(1893-1898年刊行の続編)、『存採叢書』(1885年) も刊行した。これは、塙保己一が編纂した群書類聚以後のの大事業であった[3]。自著に『日本史記』がある。

墓所は染井霊園1-ロ-8-4。

著作

単著

編纂

『改定史籍集覧』臨川書店、1983年 - 1984年。 

参考文献

  • 大久保久雄「近藤瓶城と『史籍集覧』」『出版研究』第3巻、1972年、56-89頁、doi:10.24756/jshuppan.3.0_56 

脚注




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