相州三浦住三浦助伝記とは? わかりやすく解説

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相州三浦住三浦助伝記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 15:26 UTC 版)

三浦浄心」の記事における「相州三浦住三浦助伝記」の解説

1958年佐脇栄智は内閣文庫万治版『北条五代記』の表紙見返し浄心の子の茂次(法名清涼院閑居士)までの系図書き入れがあり、出典が『静幽堂叢書』と記されていることを指摘した。同叢書宮内庁書陵部蔵本で、第17伝記9に『相州三浦住三浦助伝記』と題して書き入れ出典とみられる家譜碑文写し及び浄心著書目録載せている。 家譜正徳5年1715年12月付、三浦次郎左衛門尉久・三五郎左衛門尉茂済の花押付き連署がある、公的な場に提出されたらしき体裁のもので、内容は『北条五代記寛永版をもとに、過去帳などで生没年没年齢を補ったものと思われ上記晩年後伝付されている。家祖浄心祖父・茂忠(義忠)とされ、茂忠は「道寸に近き親類」で、もと義忠といったが、早雲(氏茂)の幕下属したとき「茂忠」に改名した、とする。以下、浄閑茂次(元和9・1623-元禄9・1696)までの系譜記している。 碑文写しには、「元文歳次庚申1740年上巳従五位下大学頭林信光識/三浦五郎左衛門尉茂斎敬立/奉勅前住永平東胡八十歳書」とあって内容正徳5年家譜をもとにしたものとみられ、普門院にあった墓碑のうち新碑とほぼ同文含んでいる。茂忠(義忠)を「三浦時高弟高信之子茂忠初名義忠」としており、三浦介家の親類であるとする伝が詳しくなっている。 出口氏の祖先三浦導寸と同統とする伝は、近藤瓶城が『史籍集覧 慶長見聞集』の奥書において小宮山綏介謬説としていることを紹介しており、『北条五代記』や『一話一言』の伝(後出)にもそぐわない。また『一話一言』は三浦義周を三浦義澄遠孫とし、寛政の呈譜を嫡流についてまとめた『略譜』(1799年 - 1812年成立)には「三浦大助明後胤」と記されており、近藤瓶城浄心先祖筋について「三浦満昌寺三浦義明)より出てしと云」としているが、『北条五代記』にはみえず、『寛政譜』は三浦義周以前系譜載せていない。 なお、『相州三浦住三浦助伝記』については、1884年近藤瓶城の『史籍集覧 慶長見聞集奥書に「碑文家記」として、また1885年小宮山綏介参考録余』第37集および小宮山引用している栗原信充先進繍像 玉石雑誌』に「茂正の孫茂久か記」として内容言及がある。

※この「相州三浦住三浦助伝記」の解説は、「三浦浄心」の解説の一部です。
「相州三浦住三浦助伝記」を含む「三浦浄心」の記事については、「三浦浄心」の概要を参照ください。

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