三浦義澄とは? わかりやすく解説

みうら‐よしずみ【三浦義澄】

読み方:みうらよしずみ

[1127〜1200鎌倉初期武将。義明の子源頼朝の挙兵参加し壇ノ浦の戦いなど各地転戦して鎌倉幕府の成立尽力した

三浦義澄の画像
本朝百将伝」より/国立国会図書館

三浦義澄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/17 01:17 UTC 版)

三浦 義澄(みうら よしずみ、大治2年〈1127年〉 - 正治2年1月23日[1]1200年2月9日〉)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の武将鎌倉幕府御家人桓武平氏の流れを汲む三浦氏の一族で、三浦介義明の次男。十三人の合議制の一人。


注釈

  1. ^ 元服にあたっては、それまでの童名幼名)が廃されて、加冠役を勤める烏帽子親から仮名通称名)と実名)が与えられるが、その際にその実名の一字(偏諱)の付与がなされることが多く[3]、常澄と義澄に共通する「澄」の字がそれにあたることが分かる(山野論文にも類似した例が紹介されている[4]
  2. ^ 『吾妻鏡』には「他人不聞之(他人これを聞かず)」とあり、頼朝の決断へ与えた影響は大きいと考えられている。
  3. ^ この時の三浦勢は、義澄の他、佐原義連大多和義久、同義成、和田義盛、同義茂、同宗実、多々良義春、同明宗、津久井義行らが名を連ねる。
  4. ^ この際、土肥の岩海岸から出航した北条時政義時岡崎義実近藤国平らと海上で出会い合流する。
  5. ^ 『吾妻鏡』によると安房国に上陸後、9月8日に北条時政を甲斐源氏武田信義に加勢を要請すべく甲斐へ派遣したとあるが、延慶本『平家物語』では時政は安房へは向かわず石橋山敗戦の直後に直接、甲斐国に向かっている。
  6. ^ 延慶本『平家物語』によれば、義澄の兄・杉本義宗は長狭常伴との戦いで戦死したとされており、頼朝と共に安房に上陸した義澄や和田義盛(義宗の子)が義宗の仇を討つために長狭常伴討伐を図った可能性も指摘されている[7]
  7. ^ 10月4日に畠山重忠、河越重頼、江戸重長が頼朝の元に参上する。父・義明を討たれた義澄ら三浦一族ではあるが、頼朝の説得により畠山重忠ら秩父一族との和解に応じる[6]
  8. ^ 他の6名は、千葉胤正工藤祐経足立遠元後藤基清葛西清重、八田知重。

出典

  1. ^ a b c 細川 2022, p. 46.
  2. ^ 野口 1994.
  3. ^ 山野 2012, p. 162.
  4. ^ 山野 2012, pp. 163–168.
  5. ^ 細川 2022, p. 44.
  6. ^ a b c d e 『吾妻鏡』当該年月日条
  7. ^ 野口実「中世成立期の安房国」『京都女子大学宗教・文化研究所紀要』第30号、2017年、38-41頁。/所収:滝川恒昭 編著『旧国中世重要論文集成 安房国 上総国』戎光祥出版、2022年、49-52頁。ISBN 978-4-86403-378-7


「三浦義澄」の続きの解説一覧

三浦義澄(義澄流)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 10:21 UTC 版)

三浦氏」の記事における「三浦義澄(義澄流)」の解説

家督継いだ三浦義澄(1127年-1200年)は矢部次郎とも荒次郎とも号した。義澄は千葉常胤上総広常土肥実平と共に頼朝宿老となった。この時、一族である和田義盛侍所別当に就いている。その後三浦氏頼朝従い平氏追討奥州合戦参戦し武功挙げる頼朝死後十三人の合議制メンバーとなる。和田義盛入り三浦党鎌倉幕府内で大きな権力持った。 しかしその後北条氏による他氏排斥運動起こり和田義盛建暦3年1213年)の和田合戦滅ぼされた。 なお、義澄以降宝治合戦による嫡流滅亡まで、三浦氏当主代々相模国守護任じられたとする佐藤進一の説がある。しかし、相模国頼朝以降代々将軍知行国として政所国務行っており、「三浦介」を称した三浦氏在庁官人として政所命令受けて職務執行する立場であったとも考えられ佐藤指摘した守護としての三浦氏活動実際に守護としての職務なのか、在庁官人三浦介としての職務なのか不明確であるとする見解もある。後者見解に立つと、相模国幕府将軍または執権政所)の直轄支配下にあり、守護置かれなかったとも考えられる

※この「三浦義澄(義澄流)」の解説は、「三浦氏」の解説の一部です。
「三浦義澄(義澄流)」を含む「三浦氏」の記事については、「三浦氏」の概要を参照ください。

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