三浦泰村とは? わかりやすく解説

みうら‐やすむら【三浦泰村】


三浦泰村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/28 10:27 UTC 版)

三浦 泰村(みうら やすむら)は、鎌倉時代中期の武将鎌倉幕府の有力御家人三浦義村の次男。


注釈

  1. ^ 『関東評定伝』の没年齢より逆算。
  2. ^ 『承久記』[2]
  3. ^ 史料では『吾妻鏡貞応3年(1224年7月18日条に父・三浦義村が「以愚息泰村男為御猶子」と述べている記事が見られ、『北條九代記』にも同様の記載がある。
  4. ^ 北条義時存命時にその猶子になっている[3]
  5. ^ 尊卑分脈』の系図では小山政光の弟で下河辺行義の兄。
  6. ^ 小山朝政の子で長村の叔父[16]

出典

  1. ^ a b 三浦泰村』 - コトバンク
  2. ^ a b 細川重男『鎌倉政権得宗専制論』(吉川弘文館、2000年)
  3. ^ a b c d e 『朝日日本歴史人物事典』(コトバンク所収)「三浦泰村」の項(執筆:佐々木文昭)より。
  4. ^ 世界大百科事典 第2版』「三浦泰村」の項 より。
  5. ^ 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』「三浦泰村」の項 より。
  6. ^ 五味文彦本郷和人・西田友広 編『現代語訳 吾妻鏡 9 執権政治』(吉川弘文館、2010年)。
  7. ^ a b 吾妻鏡嘉禎2年(1236年)12月23日条
  8. ^ a b 『吾妻鏡』宝治元年(1247年)6月14日条
  9. ^ 「佐野本三浦系図」に「元服之時北条泰時加冠、授諱字」とある(『大日本史料』五之二十二 P.134)。貫達人 「円覚寺領について」(所収:『東洋大学紀要』第11集、1957年)P.21、野口実 「執権政権下の三浦氏」(所収:野口実『中世東国武士団の研究』(高科書店、1994年))P.321・P.344 脚注(26)・(29)、鈴木かほる『相模三浦一族とその周辺史: その発祥から江戸期まで』(新人物往来社、2007年)P.40・238、三浦一族の歴史 | 横須賀市横須賀市の公式ホームページ内、最終更新日:2010年11月1日)、北条氏の宿敵─三浦一族 にも同様の記述がある。
  10. ^ 『北条氏系譜人名事典』・1378頁
  11. ^ 石井清文『鎌倉幕府連署制の研究』岩田書院、2020年。 ISBN 978-4-86602-090-7 P156・256-259.
  12. ^ 永井晋『鎌倉幕府の転換点』(NHKブックス、2000年)
  13. ^ 石井清文『鎌倉幕府連署制の研究』岩田書院、2020年、P317-365。
  14. ^ a b c d 『北条氏系譜人名事典』・378頁
  15. ^ a b c 『北条氏系譜人名事典』・379頁
  16. ^ 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』「小山朝村」(コトバンク)を参照。
  17. ^ a b 永井・181頁


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