連署就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:50 UTC 版)
延応元年(1239年)、35歳で評定衆となり、翌年に筆頭となる。宝治元年(1247年)、43歳の時に21歳の執権・北条時頼と、政村の烏帽子親だった三浦義村の嫡男三浦泰村一族の対立による宝治合戦が起こり、三浦一族が滅ぼされるが、その時の政村の動向は不明。建長元年(1249年)12月に引付頭人、建長8年(1256年)3月に兄重時が出家し引退したため、兄に代わり52歳で連署となる。
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