三浦義継
三浦義継(義継流)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 10:21 UTC 版)
為継の子・三浦義継(1067年-1159年)は相模国三浦郡を支配し、三浦荘司また三浦介を称した。以降、三浦党は相模の有力在庁官人として相模介となり、相模東半分と安房に勢力を振るう。 嫡男は三浦義明。 次男の義行は津久井氏と称した。 三男の為清は蘆名氏を称しているが、孫の石田為久は木曾義仲を討ち取っている。 四男の義実は岡崎氏を称し、その嫡子・佐奈田義忠は石橋山の戦いで討ち死にし、次男の義清は土屋氏の養子となっている。
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