梶原景時の変とは? わかりやすく解説

梶原景時の変

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/29 16:21 UTC 版)

梶原景時の変(かじわらかげときのへん)は、鎌倉時代初期の正治元年10月25日から翌正治2年1月20日1199年11月15日 - 1200年2月6日)にかけて鎌倉幕府内部で起こった政争。初代将軍源頼朝の死後に腹心であった梶原景時御家人66名による連判状で弾劾され失脚し、追討により一族尽く殺害された。頼朝死後に始まった鎌倉幕府内部における権力闘争の最初の犠牲者であった。


  1. ^ 静岡市清水区大内、または駿河区曲金狐ケ崎など諸説あり。
  2. ^ この合戦で吉川友兼が景時を討つ際に用いたとされる太刀はその後代々吉川氏に伝えられ、「狐ヶ崎」の名で現在も財団法人吉川報效会が所有している(国宝)。


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梶原景時の変

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:10 UTC 版)

北条時政」の記事における「梶原景時の変」の解説

頼朝死後嫡子頼家跡を継ぐが、頼朝在世中に抑えられていた有力御家人の不満が噴出し御家人統制辣腕振るっていた侍所別当梶原景時弾劾受けて失脚12月鎌倉から追放された(梶原景時の変)。 『玉葉』(正治2年正月2日条)によると、他の武士達から恨まれた景時は、頼家の弟実朝将軍立てようとする陰謀があると頼家報告し、他の武士たちと対決した言い負かされ讒言露見した結果一族とともに追放されてしまったという。時政弾劾連判状署名をしていないが、景時糾弾きっかけとなったのは時政の娘・阿波局であり、景時一族討滅された駿河国清見関時政勢力圏であることから景時失脚関与していた可能性が高い。

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梶原景時の変

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 06:04 UTC 版)

羽黒城」の記事における「梶原景時の変」の解説

※「梶原景時の変」も参照1199年正治元年)、頼朝没すると有力御家人たちは一致して景時排斥二代将軍源頼家訴え鎌倉追放決まった。これに景時も抗することができず、一族ともに鎌倉出て相模国一ノ宮の館に退去した。景時は一ノ宮の館に籠城したもの鎌倉討伐軍と戦って自滅するつもりはなかった。 1200年正治2年1月20日、景時は一族とともに京都上る道中東海道駿河国清見関静岡市清水区近くで偶然居合わせた吉川氏在地武士たちと相模国飯田家義らに発見され襲撃を受け、狐崎において合戦となる。子の三郎景茂(年34)・六郎景国・七郎景宗八郎景則・九郎景連が討たれ、景時と嫡子景季(年39)、次男景高(年36)は山へ引いて戦ったのち討ち死にし、その首は隠されていたが翌日探し出され一族33名の首が路上懸けられた。頼朝の死から1年後のことであった『吾妻鏡』正月28日条の武田信光伊沢信光)からの報告によると、景時は朝廷から九州諸国総司令任命されたと称して上洛し、武田有義将軍奉じて反乱目論んだという説がある。

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