和田常盛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 05:13 UTC 版)
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時代 | 鎌倉時代前期 - 中期 |
生誕 | 承安2年(1172年) |
死没 | 建暦3年5月4日(1213年5月25日) |
官位 | 左兵衛尉 |
幕府 | 鎌倉幕府 |
主君 | 源頼家→実朝 |
氏族 | 和田氏 |
父母 | 父:和田義盛 |
兄弟 | 常盛、義氏、朝比奈義秀、義直、義重、義信、秀盛、杉浦義国 |
子 | 朝盛 |
和田 常盛(わだ つねもり)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将・御家人。
略歴
弓の名手だったと伝わり、鎌倉幕府将軍・源頼家、実朝に仕えた。建仁3年(1203年)の比企能員の変には父・義盛と共に追討軍に参加した。
建暦3年(1213年)の和田合戦において一族と共に戦うが、敗れて甲斐国へ逃れ、横山時兼らと共に自害した。享年42。
逸話
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