吉川朝経とは? わかりやすく解説

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吉川朝経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/09 05:18 UTC 版)

 
吉川朝経
時代 鎌倉時代
生誕 治承6年(1182年
死没 仁治元年10月3日1240年10月19日[1]
改名 経兼[1]→朝経→常全(法名)[1]
別名 二郎[1]
官位 左衛門尉[1]
主君 鎌倉幕府
氏族 藤原南家工藤流吉川氏
父母 父:吉川友兼[1]
船越維定女
経光[1]

吉川 朝経(きっかわ ともつね)は、鎌倉時代武士御家人吉川氏3代当主。

生涯

正治2年(1200年)の梶原景時一族追討(梶原景時の変)の際に父吉川友兼を失うも、亡父の功と本人の功を讃えられて加増され、梶原氏の所領であった播磨国福井荘の地頭に任ぜられた。

仁治元年(1240年)に死去。

嫡男である経光とは生年が僅か10年しか変わらないため、兄弟もしくは親戚筋からの養子の可能性もある。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 今井尭ほか編 1984, p. 333.

参考文献




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