宿老
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宿老(しゅくろう)とは、『宿徳老成』の人の意味[1]。十分に経験を積んだ老人を指す言葉であり、そこから転じて古参の臣や家老など重要な地位に就く者の称となった。
概要
平安時代の朝廷においては老練の公卿を指す言葉として用いられ、藤原経宗は「朝の宿老」「国の重臣」と呼ばれた[2]。源平盛衰記にも源資賢を指して『資賢は古人の宿老』という記述がある[3]。
鎌倉幕府では評定衆、引付衆を宿老と呼び、室町幕府でも引き継がれた。ただし、室町幕府では評定衆を宿老、引付衆を中老と呼ぶこともあった[1]。守護大名や戦国大名の家中においては職制や重臣をさす日用的な言葉として用いられた。
江戸時代では幕府における老中や諸大名家における家老を指す称として用いられたほか町方・在方社会でも年寄役、鯨猟に参加する勢子船の指揮者を指す言葉として使われた。
近現代でも日用語として用いられ、八幡製鉄所では特に優れた熟練工を「宿老」に指定し、定年無しの雇用を行う制度が存在した[4]。
参考書籍
脚注
- ^ a b 『角川日本史辞典』第二版(角川書店) 467 P
- ^ 『玉葉』元暦元年(1184年)8月18日条
- ^ 『源平盛衰記』内閣文庫蔵慶長古活字本(国民文庫)巻第七
- ^ 佐木隆三『宿老・田中熊吉伝 鉄に挑んだ男の生涯』(文藝春秋) ISBN 978-4163663708
宿老
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川口遠藤家(1,830石、栗原郡川口所)遠藤玄信-俊信-斉信-守信-善信-昌信-元生-元良-允信 但木家(1,500石、黒川郡吉岡所)但木久清-重信-顕高-顕行-長行-明行=直行(涌谷伊達村常の子)-成行 元禄9年(1696年)昇格。 後藤家(2,700石、遠田郡不動堂要害)後藤信康-近元-近康-節康-元康-寿康-良康-幸康-充康 宝暦7年(1757年)昇格。桃生郡大森→1611江刺郡三照→1620遠田郡不動堂 廃絶 屋代家(柴田郡船岡。慶長12年(1607年)改易、後に平士)屋代景頼 名取郡岩沼→1602柴田郡船岡 牧野家(2,500石、加美郡宮崎所。慶安3年(1650年)改易)牧野盛仲-茂仲 原田家(柴田郡船岡。寛文11年(1671年)改易)原田宗資-宗輔 牡鹿郡大瓜→1615柴田郡船岡 富塚家(宇多郡駒ヶ嶺。享保3年(1718年)改易)富塚宗綱-信綱-重信-重長-重標 栗原郡真坂→1644宇多郡駒ヶ嶺 津田家(栗原郡佐沼。宝暦7年(1757年)改易)津田豊前景康-頼康-玄蕃景康=春康(頼康の四男)=武康(玄蕃景康の二男)-広康-定康 栗原郡北方→1610亘理郡坂元→1616栗原郡北方
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