鎌倉・室町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 06:18 UTC 版)
鎌倉幕府の裁許状としては征夷大将軍の意向を執権・連署が奉じた関東裁許状をはじめ、六波羅探題・鎮西探題も将軍の命を奉じて裁許状を発給した(六波羅探題裁許状・鎮西探題裁許状)。それぞれの裁許状は書止部分の表現がやや異なっているものの必ず「下知如件」で締めくくられ、室町幕府にも踏襲された。 室町幕府では初期には足利直義が署判を据えた裁許状が出された。直義が失脚すると、執事・管領や複数の奉行人が連署する形式の裁許状が発給され、後には双方の主張部分を省略して裁許部分を記した奉書形式の裁許状が登場するようになった。
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