略譜とは? わかりやすく解説

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りゃく‐ふ【略譜】

読み方:りゃくふ

概略だけを記した簡単な系譜。「徳川家の—」

五線譜対し数字など表した簡単な楽譜。⇔本譜


略譜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:05 UTC 版)

沖永良部島」の記事における「略譜」の解説

1470年文明2年)頃、禅王寺(禅宗)が建立される。 1609年慶長14年)、薩摩藩侵攻により薩摩直轄領となり「大和世(やまとぅゆ)」の時代となる。 1616年元和2年)、徳之島代官所置かれ沖永良部島与論島巡回して統治1690年元禄3年)、徳之島代官行政離れ沖永良部島代官所設置される薩摩藩直轄領時代は、主に政治犯的な囚人流刑地江戸時代末期1862年文久2年)-1864年元治元年))、島津久光疎まれ西郷隆盛流されて1年7か月滞在した1869年明治2年)、代官所在藩所と改める。 1871年明治4年)、廃藩置県により鹿児島県沖永良部島支庁となる。 1903年明治36年)、社倉法などを教示した西郷南洲翁を慕う島民たちによって和泊南洲神社建立される。 1908年明治41年)、島嶼町村制施行和泊村知名村現在の和泊町知名町)に区分される1920年大正9年)、普通町制が施行。各村長住民公選となる。 1946年昭和21年)、第二次世界大戦後連合軍総司令部昭和21年2.2宣言により周辺奄美群島と共に同年3月から祖国日本ら行分離されアメリカ軍政下に入る。「奄美群島の歴史」も参照 1953年昭和28年12月25日沖永良部島含む奄美群島日本復帰クリスマスであったことから、米国は「日本へのクリスマスプレゼント」とした。 1977年昭和52年)、台風9号沖永良部台風)が直撃日本陸上における最低気圧907.3ヘクトパスカル記録した2011年平成23年)、地域活性化目的日本一ガジュマルモチーフ沖永良部島キャラクター題しガジュ丸くんが誕生した

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略譜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 03:50 UTC 版)

篠田真宏」の記事における「略譜」の解説

1959年 神奈川県横浜市生まれ1974年 クリスチャンになる1975年 関東学院六浦高等学校進学 1978年 東京基督教短期大学入学1986年 結婚 2015年 株式会社リ・クリエイション代表取締役就任

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略譜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 01:51 UTC 版)

万里小路宣房」の記事における「略譜」の解説

日付旧暦 和暦西暦月日事柄正嘉2年 1258年 生誕文永8年 1271年 1月5日 従五位下叙位文永11年 1274年 3月22日 兵部少輔任官3月24日 兵部少輔転任12月1日 院評定衆加えられる建治3年 1277年 1月29日 従五位上昇叙弘安2年 1279年 1月24日 越後介を兼任10月23日 飛騨守兼任越後介を去る。 弘安6年 1283年 3月28日 正五位下昇叙時に名を宣房と名乗る永仁6年 1298年 8月28日 春宮権大進遷任春宮邦治親王:のち後二条天皇)。 正安元年 1299年 6月6日 春宮大進転任正安3年 1301年 1月21日 新帝後二条天皇昇殿東宮践祚に伴い春宮大進を止む。 4月5日 五位蔵人補任兵部少輔兼任正安4年 1302年 1月28日 右少弁遷任蔵人如元。 8月28日 権右中弁転任蔵人如元。 9月29日 従四位下に昇叙し、権右中弁如元。 12月26日 従四位上昇叙12月30日 大蔵卿兼任嘉元3年 1305年 3月8日 蔵人頭補任大蔵卿如元。 3月18日 権右中弁兼任4月5日 左中弁兼任4月19日 修理宮城使に補任11月26日 参議補任大蔵卿如元。 嘉元4年 1306年 1月5日 正四位下昇叙参議大蔵卿如元。 3月30日 出雲権守兼任7月6日 父・資通の薨去により服解11月27日 弾正大弼兼任12月12日 左大弁兼任徳治2年 1307年 3月2日東大寺長官補任参議大蔵卿左大弁弾正大弼出雲権守如元。 8月4日 大蔵卿を止む。 11月1日 弾正大弼を止む。 徳治3年 1308年 9月17日 参議・造東大寺長官辞す左大弁出雲権守如元。 11月14日 従三位昇叙出雲権守如元。 延慶3年 1310年 出雲権守を去る。 文保2年 1318年 4月2日 正三位昇叙12月3日 権中納言任官文保3年 1319年 3月9日 権中納言辞任3月15日 従二位昇叙本座許される6月6日 大宰権帥任官元亨2年 1320年 1月3日 正二位昇叙3月3日 大宰権帥を去る。 4月5日 権中納言還任正中元年 1324年 10月29日 権大納言転任正中2年 1325年 12月12日 帯剣許される正中3年 1326年 2月19日 権大納言辞任嘉暦3年 1328年 7月20日 権大納言還任9月10日 伊勢勅使補任され、伊勢神宮奉幣嘉暦4年 1329年 6月28日 権大納言辞任元徳2年 1330年 10月21日 権大納言還任元弘元年/元徳3年 1331年 2月1日 大納言遷任8月25日 六波羅探題拘束される10月12日 官爵停止により、大納言辞任元弘2年/正慶元年 1332年 4月10日 光厳天皇より参朝勅許される。 元弘3年/正慶2年 1333年 5月17日 大納言還任6月12日 按察使兼任建武元年 1334年 7月9日 大納言辞任し従一位昇叙建武2年 1335年 4月7日 大納言還任7月 大納言辞任延元元年/建武3年 1336年 1月 出家正平3年/貞和4年 1348年 10月18日 薨去か。享年91

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アルバート・ヴェン・ダイシー」の記事における「略譜」の解説

1835年2月4日イギリスのクレイブルック・ホールで生まれる。 1854年オックスフォード大学入学し首席卒業1861年インナー・テンプル法曹院入学1882年オックスフォード大学教授1907年オックスフォード大学名誉教授1922年4月7日永眠

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高崎圭悟」の記事における「略譜」の解説

1985年 群馬県生まれ両親ともに会社員で、共働き家庭で育つ。 2002年 18歳 長野大学進学2004年 20歳 スノーボードJIBセッション「S-Effection」にて優勝地方大学卒業後、IT企業就職2007年 23歳 ソフトウェア特許発明者として6件出願2009年 25歳 IT事業個人事業主として独立2012年 27歳 株式会社リアルジャパンとして法人化2014年 29歳 バブルサッカー事業参入2015年 30歳バブルサッカー業界において、開催回数開催人数 日本一達成2016年 31歳汐留に初の飲食店プロデュースランチパスポート新橋虎ノ門エリア初登場グランプリ獲得講演・研修講師としては、7年間で通算700開催、のべ5万人が受講2017年 32汐留イタリア街の地域活性化参画汐留大学講師就任2018年 33歳初の書籍オーディオブックハイスコア 人生最大限目指すゲーム幻冬舎MC)』は、Amazonオーディオブックランキング 全国1位、紀伊国屋全国デイリーランキング 1位、ジュンク堂 ジャンル別ランキング 2位三省堂有楽町ランキング 1位、八重洲ブックセンターランキング 1位を獲得発売3か月発行部数1万部を突破。 初のクラウドファンディング誰もが輝けるファッションショーイベント』は達成率179%、400超満員。グリコ・サントリーが協賛企業となるなど、話題に。 『和合堂』(2002年 - )を先代から継承。和喫茶&オーガニックショップとして三田オープン2019年 34歳人を大事にする転職エージェント和合エージェンシー」を設立株式会社ギフト運営イスラエル国観光庁公認イスラエル親善大使」に就任クリスチャンとなる。 2020年 35歳 YouTuberとしての活動開始2022年 第26回参議院議員通常選挙比例代表政治団体ごぼうの党」から立候補し落選

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守貞親王」の記事における「略譜」の解説

日付はいずれ旧暦治承3年1179年2月28日 - 生誕 文治5年1189年11月19日 - 親王宣下無品 建久2年1191年12月26日 - 元服加冠三品 建2年1212年3月26日 - 出家入道親王 承久3年1221年8月16日 - 太上天皇法皇貞応2年1223年5月14日 - 薨去

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坊門清忠」の記事における「略譜」の解説

日付旧暦 和暦西暦月日事柄弘安6年1283年生誕正中元年 1324年 10月29日 右中弁任官時に正四位下(『弁官補任』)。 正中2年 1325年 12月18日 左中弁転任(『弁官補任』)。 正中3年 1326年 2月19日 右大弁転任(『公卿補任』)。 嘉暦2年 1327年 1月5日 正四位上昇叙(『公卿補任』)。 7月16日 従三位昇叙(『公卿補任』)。 閏9月20日興福寺長官補任(『公卿補任』)。 嘉暦3年 1328年 3月16日 参議補任(『公卿補任』)。 9月23日 左京大夫兼任(『公卿補任』)。 元徳元年 1329年 1月13日 周防権守兼任(『公卿補任』)。 2月12日 周防権守右大弁辞職正三位昇叙(『公卿補任』)。 元徳2年 1330年 11月7日 還任(『公卿補任』)。 元弘元年/元徳3年 1331年 1月13日 再び辞職(『公卿補任』)。 元弘3年/正慶2年 1333年 6月12日 再び還任し、右大弁兼任(『公卿補任』)。 9月23日興福寺長官補任(『公卿補任』)。 建武元年 1334年 1月13日 信濃権守兼任(『公卿補任』)。 9月4日 大蔵卿兼任(『公卿補任』)。 9月28日 従二位昇叙(『公卿補任』)。 12月17日 大蔵卿停任(『公卿補任』)。 延元2年/建武4年 1337年 1月7日 左大弁転ず北朝)(『公卿補任』)。 3月29日 辞職(『公卿補任』)。南朝吉野朝廷)へ参候したか。 延元3年/暦応元年 1338年 3月21日 吉野行宮薨去(『公卿補任』) 享年56

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波多氏」の記事における「略譜」の解説

波多泰 - 壱岐島城代を置く 波多波多波多隆 - 波多親派に討たれる 波多重 - 隆に同じ 波多政 - 壱岐島城代となるが家臣討たれる 波多親 - 盛の娘の嫁ぎ先である有馬義貞の子16波多氏当主

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 08:15 UTC 版)

洞院実世」の記事における「略譜」の解説

日付旧暦 和暦西暦月日事柄延慶元年 1308年 生誕正和2年 1313年 9月6日 叙爵正和3年 1314年 9月21日 従五位上昇叙文保元年 1317年 1月5日 正五位下昇叙文保2年 1318年 1月2日 元服1月22日 侍従任官11月21日 従四位下に昇叙元亨2年 1322年 1月2日 従四位上昇叙6月17日 右近衛少将遷任正中2年 1325年 1月20日 禁色聴される嘉暦2年 1327年 7月23日 故あって四位位記止められるが、同時に蔵人補任8月1日 弾正少弼遷任し、右少将を去る。蔵人如元。 11月15日 権左中弁遷任蔵人少弼如元。 嘉暦3年 1328年 1月1日 左右少弁の上に列せられる1月5日 正五位上昇叙6月13日 従四位上昇叙9月23日 従四位上昇叙11月27日 参議補任元徳元年 1329年 1月7日 正四位下昇叙2月12日 右大弁兼任9月26日 正四位上昇叙11月9日 従三位昇叙元徳2年 1330年 1月13日 美作権守兼任し、造東大寺長官補任3月1日 左大弁転任3月22日 権中納言転任3月27日 正三位昇叙7月17日 右衛門督兼任10月5日 左衛門督転任12月14日 検非違使別当補任元弘元年 1331年 8月25日 六波羅探題によって捕捉される。 10月5日 元弘の乱参与したため解官元弘2年/正慶元年 1332年 4月10日 鎌倉幕府奏聞によって幽閉される。 元弘3年/正慶2年 1333年 5月17日 光厳天皇廃位に伴い本職復す9月23日 修理大夫兼任建武元年 1334年 1月23日 春宮権大夫兼任9月28日 従二位昇叙10月9日 修理大夫辞任12月17日 大学頭兼任延元元年/建武3年 1336年 3月1日 正二位昇叙5月25日 尾張守兼任12月 吉野朝廷南朝)に参候したため解官延元4年/暦応2年 1339年 権大納言転任(以下、『南朝公卿補任』による)。 正平2年/貞和3年 1347年 右近衛大将兼任正平3年/貞和4年 1348年 10月 従一位昇叙正平4年/貞和5年 1349年 2月22日 権大納言右近衛大将辞任正平7年/文和元年 1352年 2月 権大納言右近衛大将還任正平8年/文和2年 1353年 7月 右大臣転任正平10年/文和4年 1355年 3月7日 左大臣転任正平12年/延文2年 1357年 1月20日 東宮傅兼任東宮寛成親王)。 正平13年/延文3年 1358年 8月19日 水腫所労のため薨去享年51

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/29 05:32 UTC 版)

花山院師賢」の記事における「略譜」の解説

日付旧暦 和暦西暦月日事柄正安3年 1301年 生誕乾元元年 1302年 1月28日 叙爵徳治元年 1306年 1月5日 従五位上昇叙12月22日 侍従任官徳治2年 1307年 2月9日 正五位下昇叙延慶2年 1309年 9月1日 従四位下に昇叙12月26日 右近衛少将遷任延慶3年 1310年 12月28日 従四位上昇叙応長元年 1311年 3月4日 左近衛中将転任正和元年 1312年 1月13日 播磨介兼任10月12日 正四位下昇叙正和5年 1316年 11月23日 従三位昇叙左中将如元。 文保元年 1317年 4月6日 左大弁・造東大寺長官兼任12月22日 参議補任文保2年 1318年 1月22日 土佐権守兼任7月7日 権中納言転任10月9日 帯剣聴される元応元年 1319年 8月7日 中宮権大夫兼任中宮西園寺禧子)。 元亨元年 1321年 1月5日 従二位昇叙元亨3年 1323年 1月13日 右衛門督兼任正中元年 1324年 4月27日 中宮大夫兼任5月26日 左衛門督兼任10月29日 中納言転任正中2年 1325年 1月29日 弾正尹兼任左衛門督停任嘉暦元年 1326年 2月19日 権大納言転任中宮大夫弾正尹如元。 嘉暦2年 1327年 2月23日 中宮大夫停任11月10日 正二位昇叙嘉暦3年 1328年 5月8日 弾正尹辞任元徳元年 1329年 6月28日 大納言転任元弘元年/元徳3年 1331年 9月29日 出家元弘2年/正慶元年 1332年 5月 下総国配流10月配所薨去享年32元弘3年/正慶2年 1333年 6月23日 太政大臣追贈

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西尾光一」の記事における「略譜」の解説

西尾実長男として長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)に生まれる。1926年一家東京府豊多摩郡落合町に移る。旧制浦和高等学校文科経て1936年東京帝国大学文学部国文科卒。 1943年陸軍士官学校教授1946年東京外国語大学教授経て1949年山梨大学教授1979年定年退官名誉教授同年清泉女子大学教授1985年上田女子短期大学学長1989年11月勲三等旭日中綬章受章中世説話文学専門とした。

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平成輔」の記事における「略譜」の解説

和暦西暦月日事柄正応4年 1291年 生誕応長元年 1311年 1月 春宮権大進見任正和4年 1315年 5月 右衛門権佐見任文保元年 1317年 3月4日 蔵人補任時に正五位下左衛門権佐文保2年 1318年 2月11日 兵部少輔遷任。元民部少輔元応元年 1319年 3月9日 右少弁遷任し、蔵人少輔を去る。 元応2年 1320年 3月24日 右中弁転任4月12日 従四位下に昇叙修理宮城使に補任元亨元年 1321年 1月5日 従四位上昇叙4月6日 左中弁転任6月6日 修理宮城使に補任12月29日 備中介兼任元亨2年 1322年 1月9日 記録所寄人補任元亨4年 1324年 4月17日 正四位下昇叙4月27日 蔵人頭中宮亮補任し、左中弁を去る。 10月29日 蔵人頭中宮亮辞す嘉暦2年 1327年 3月24日 蔵人頭還任し、治部卿任官7月16日 参議補任し、治部卿元の如し8月14日 弾正大弼兼任嘉暦3年 1328年 1月5日 従三位昇叙3月16日 丹波権守兼任元徳元年 1329年 1月13日 弾正大弼停任9月26日 治部卿停任元徳2年 1330年 1月5日 正三位昇叙2月11日 参議辞す元弘元年/元徳3年 1331年 8月25日 六波羅探題拘束される元弘2年/正慶元年 1332年 5月22日 相模早川尻で梟首享年42昭和6年 1931年 12月21日 従二位追贈

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 13:14 UTC 版)

ジャン=バティスト・デニ」の記事における「略譜」の解説

パリ生まれ医学の道を志しヨーロッパ最古伝統を誇るモンペリエ大学医学部で学ぶ。その後医師として成功しフランス国王ルイ14世顧問医師務めた1667年6月15日、人への輸血研究していたデニは、15歳少年12オンス(約400cc)の羊の血を輸血した。この少年生き延び同様に別の労働者にも輸血がされたが彼も生き延びた現在の血液学理論から見れば、非常に危険な行為であるが、2人生存し得たのは、輸血の量が少なく拒絶反応に体が耐えられたためだと考えられる3人目スウェーデン貴族グスタフ・ボンド(Gustaf Bonde)に2回の輸血が行われたが、2回目輸血後すぐに死亡した。さらに1667年の冬、アントワーヌ・モロワ(Antoine Mauroy)に子牛の血を輸血したが、3回目輸血の後死亡したモロワ死をめぐって彼の妻がデニ訴え裁判となった。後にモロワ死因は、夫の財産狙った妻による砒素使った毒殺であることが判明しデニ無罪となるが、裁判の後、彼は輸血実験二度と行うことはなかった。この治療法論争呼び1670年禁止された。 輸血安全な治療法になるのは、そこから200年以上経過した1900年カール・ラントシュタイナー血液型発見し血液凝固を防ぐ方法確立され後のことである。

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等々力いく」の記事における「略譜」の解説

1899年明治32年)- 日本赤十字社長野支部看護婦13期生を卒業し東京本社転勤し看護婦長となる。その後日露戦争第一次世界大戦日中戦争に従軍する。勲七等宝冠章受勲1911年明治44年)- 東宮妃(後の貞明皇后)の大患の時、3か月看護当る秩父宮雍仁親王高松宮宣仁親王発病時に看護当る1925年大正14年)- ヘルシンキ万国赤十字看護婦会議日本代表として出席し万国赤十字社から日本国内4人目ナイチンゲール章を受勲する。 下田歌子校長であった実践女学校講師として招かれ看護学講座担当する1946年昭和21年)- 日本赤十字社有功章受章1949年昭和24年)- 貞明皇后長野県有明柞蚕試験場視察した際、単独拝謁し下賜品を送られる

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「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
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