谷森善臣とは? わかりやすく解説

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谷森善臣 たにもり よしおみ

谷森善臣の肖像 その1
文化14年12月28日明治44年11月16日1818~1911)

京都生まれ国学者天皇近侍である内舎人家(うどねりけ)の出身伴信友門下国学を学ぶ。40歳頃から山陵修復事業携わり以後御陵墓取調事務従事し皇学取調御用掛、皇学所1等教授修史館修撰などを歴任著作物には歴史書校訂山陵調査報告などがある。また、蔵書多岐にわたり、「谷森本」と称されて、『国史大系』の底本として用いられ資料多く含む。

キーワード 学者
著作等近代デジタルライブラリー収載
  1. 嵯峨野之露 / 谷森善臣著 青山書房, 明35.9 <YDM1658>
  2. 滝のしら玉 / 谷森善臣編 青山堂, 明36.12 <YDM86222>

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)

谷森善臣

読み方たにもり よしおみ

幕末・明治時代国学者通称二郎外記、号は壷。伴信友の門で国学を学ぶ。史学精通し和歌・書にも長けた勤王の志厚く山陵調査貢献した三条西家侍臣大和介から、大学博士正四位叙せられた。著書に『帝陵略譜』『南山小譜』等がある。明治44年(1911)歿、95才。

谷森善臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/15 01:36 UTC 版)

谷森 善臣(たにもり よしおみ、文化14年12月28日1818年2月3日) - 1911年明治44年)11月16日)は、幕末から明治時代にかけての国学者陵墓南朝史・皇室系譜の研究に業績を残した。本姓平氏、初名は松彦だが、28歳の時に種松種万都とも)へ改名。通称は二郎外記菫壺靖斎とも号した。




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