伝本
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序文において「秘伝として他見を禁ずる」と記されている通り、現存する写本の数は少なく、広く流布した形跡はない。 陽明文庫蔵近衛自筆稿本首巻及び桐壷から夢浮橋までのすべてを含む73巻からなる完本。本書にかかわるいくつかの消息文や近衛家久による「一簣抄目録」などとともに伝来している。 宮内庁書陵部蔵本近衛基煕自身により書写されたとみられる。首巻及び桐壷から夢浮橋までのすべてを含む73巻74冊からなる完本。近衛基煕自筆稿本と比べてみると本文もほとんど同じであるだけでなく改行や改頁の位置も同じ、表装もほとんど同じであり、複製本と言えるほどに似ている。 陽明文庫蔵近衛家久筆本桐壷、帚木のみの写本。 国文学研究資料館初雁文庫本昭和期の新写本。首巻、桐壷、夢浮橋のみの写本。
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伝本
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本書の伝本は大きく「初期稿本系グループ」、「通行本グループ」、「増補本グループ」に分かれる。それぞれのグループの中でも写本ごとに少なくない差異がある。 初期稿本系グループ穂久邇文庫所蔵本とその転写本と見られるもの。記述の重複が見られるなど未整理な部分もあり、「聞書」としての性格が強い原初的な形態を持っている。 穂久邇文庫所蔵本 国立国会図書館蔵本(伊達観蘭旧蔵本) 天理図書館蔵本甲本(万治奥書本) 通行本グループ古くから『覚勝院抄』と呼ばれてきたもの。「聞書」的な性格は薄くなり、『覚勝院抄』という固有の名称と比較的整理された内容を持った固有の注釈書としての性格が強い。 宮内庁書陵部蔵甲本(桂宮本) 宮内庁書陵部蔵乙本(鷹司本) 東京大学国語研究室蔵本 静嘉堂文庫蔵本 天理図書館蔵本乙本(九条家旧蔵本) 天理図書館蔵本丙本(青谿書屋旧蔵本) 天理図書館蔵本丁本(桃園文庫旧蔵本) 天理図書館蔵本戌本(白水蔵書本) 中田剛直旧蔵本 学習院大学蔵本(三条西家旧蔵本) 東海大学桃園文庫蔵本 野村精一架蔵本 増補本グループ増補本系統は『岷江入楚』、『湖月抄』、『源氏物語玉の小櫛』など後世の書物からの加筆とみられるものを含んでいる。江戸時代中期以降の写本のみが存在する。 実践女子大学図書館常磐松文庫蔵本 実践女子大学文芸資料研究所蔵本(三条西家旧蔵本) 東京大学総合図書館蔵本(足代弘訓書入本)
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/19 09:37 UTC 版)
現存する伝本としては以下の2本がある。 陽明文庫蔵本。夕霧1帖を欠く53冊からなる 京都大学図書館蔵本『源氏物語抄』と題している。前半5巻のみ現存する。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/02 04:13 UTC 版)
東北大学附属図書館(狩野文庫)に収蔵されている。他に同様の内容をもつ写本などは確認されていないため、その伝来についても詳しくは判明しない。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 08:18 UTC 版)
一類本(平仮名本・第七篇と第十篇の後半を欠く)、二類本(片仮名本)、三類本(一類本の欠部を二類本によって補う)、四類本(二類本に近い、流布本)の四種に大別される。いずれも成立から時代の降った近世以降の伝本であり、総じて古写本には恵まれない。 泉基博が二類本の完本(宮内庁書陵部本)を発見して以来、伝本研究が進展した。現在、二類本が原態に近いものとして重視されるが、一類本が原態に近い部分もある。 現行の版本は、「新訂増補国史大系」(吉川弘文館)、「新編日本古典文学全集」、抜粋版「日本の古典を読む」(各・小学館)、「十訓抄」(岩波文庫、度々復刊)がある。「新編日本古典文学全集」は二類本の宮内庁書陵部本。「岩波文庫」は一類本の東京大学国文学研究室本を主な底本とする。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/02 14:22 UTC 版)
本文は大きく流布本系統と異本系統とに分かれる。現存する伝本には6巻(稲賀敬二蔵本)のものや8巻のもの、10巻(天理図書館蔵本)のものなどがある。跋文によれば本書は全6巻であるとされているためこれが最も原形を保ったものだと考えられている。またこの「6」という巻数は『源氏物語』60巻説にもとづくものであると考えられている。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 10:07 UTC 版)
「石清水八幡宮権別当田中宗清願文」の記事における「伝本」の解説
大江周房による漢文は、大日本古文書「石清水文書」ならびに群書類従に活字本が収められるが、願文中の16箇条の順序は両者で異なっている。 藤原定家による仮名文は、「天理図書館善本叢書」に影印が収載される。仮名文は13箇条を有するが、この箇条の順序も、漢文の活字本二種のいずれとも異なる。 この他、漢文と仮名文の両者を直接的に比較参照できる活字文が作成されている。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:03 UTC 版)
『播磨国風土記』の伝本は、三条西家が所蔵していた平安時代末期の写本「三条西家本」のみである。この写本は国宝に指定されており、現在は天理大学附属天理図書館が所蔵している。他に写本はなく、また、三条西家本も常に存在が知られているものではなかったため、『播磨国風土記』は一部が逸文として知られているのみであった。寛政8年(1796年)に柳原紀光によって伝本が書写されたことをきっかけに、谷森善臣が三条西家の所蔵であることを確認、嘉永5年(1852年)になって書写したことで世に知られるようになった。明治頃から本格的な研究が始められるようになり、栗田寛『標註古風土記』、敷田年治『標註播磨風土記』、井上通泰『播磨風土記新考』などが出版された。 『播磨国風土記』は写本が残されている五つの風土記のうちの一つであるが、『出雲国風土記』のように完本に近い形で残されているわけではない。播磨国の総説、明石郡の全体、加古郡の冒頭、赤穂郡の全体が欠落している。各郡をおおむね南東部から南西部、北西部から北東部といった順に記載しており、播磨国の総説、明石郡の全体、加古郡の冒頭は巻首にあり、欠損したものと考えられている。明石郡に関しては『釈日本紀』に逸文が残されていることなどから、記載されていたことは確実視されているが、赤穂郡に関しては手掛かりが残されていない。欠損や脱落があった、あるいは現存する『播磨国風土記』の底本が稿本であったために記載されていなかった、など様々に考えられている。この他、印南郡域の記事はあるものの郡名の記載がない。元々は郡名が記されていたが脱落したとする考えと、印南郡の成立は風土記よりも後の時代で、賀古郡の一地域としての印南浦として書かれたとする考えがある。 赤穂郡の記事が無いこと、飾磨郡の記事などの一部に乱れがあることなどを根拠として、現存する『播磨国風土記』の底本は、国庁での最終的な手入れがされる前段階のものであったと見られている。この説が出された当初は全体が未整理であるというものであったが、現在は追加記事が未整理の段階であろうという見方が主流となっている。これらへの異論としては、現在と編纂当時では認識が違うとして、当時の一つの完成された記述方法を現在の感覚で未完成と捉えてしまっているのではないかというものがある。『播磨国風土記』では、意図的な改変の形跡が他の風土記と比べて少ないため、在地の伝承が比較的そのまま残されていると考えられている。文体が『古事記』のような和文的な漢文であることや、稿本と目される要因などから、この風土記の特徴として素朴さが挙げられることが多い。漢籍的な要素も見られる『常陸国風土記』とは対照的である。 『播磨国風土記』には「大神の御粮(みかれい)沾(ぬ)れて かび生えき すなわち酒を醸さしめて 庭酒(にわき)を献りて宴(うたげ)しき」との記載がある。「神に供えた糧が枯れて、かびが生えた。すなわち酒を醸さしむ」ことが記されているため、米を原料とした日本最古の日本酒に関する記述とされている。
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伝本
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撰者である俊成自筆の本文が古筆切として「日野切」の名で伝わるが、完本としては龍門文庫所蔵の鎌倉末期の写本が最古である。龍門文庫蔵本は『新日本古典文学大系』の底本となっている。現存する諸伝本のあいだには、数首の和歌の出入りや作者名表記の違いのほかは特に大きな異同は認められない。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:56 UTC 版)
『金葉和歌集』の伝本は成立に至るまでの複雑な経緯を反映し、初度本・二度本・三奏本の3系統に分けられる。初度本は半分以上が欠けている零本で、それ一冊のみが伝わる孤本である。現存する伝本のほとんどは二度本で、一般に流布する『金葉和歌集』の本文もこの二度本に拠るが、同じ二度本でも伝本の間で収める和歌がおよそ660首のものから700首を超えるものまで異同がある。三奏本は2種類現存する。3系統はいずれも曲がりなりにも伝えられているのである。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 02:27 UTC 版)
現存する写本は極めて少なく、以下の四本。 鹿児島県立図書館蔵本 外題「賤之麻玉記」 四十九丁(ただし十丁は白紙)、絵なし。書写年・書写者は不明。 東北大学附属図書館・狩野文庫本 外題「賤の緒玉記」 八十六丁、絵あり。書写年・書写者は不明。 都城市立図書館蔵本 外題「賤の麻玉記」 ペン書き・本文三十二丁、絵なし。書写年・書写者は不明。 鹿児島県歴史資料センター黎明館寄託・野邉盛雅氏本 表紙および巻末の数丁を欠く。 薩摩文化月刊誌「さんぎし」に連載された翻刻 外題「賤の男玉記」。薩摩川内市に個人で所蔵されていたものを翻刻した。翻刻の誤り・脱落多し。丁数・絵の有無は不明、書写年は、奥書に「安政四年[1858年]十二月廿四日 佐多直次郎」とある由。元にあった写本は現存せず。 出水市歴史民俗資料館蔵・端本 表紙に「賤野麻玉木」と題がある。物語の初めの部分のみ。十一五丁〔ママ〕。脱落・誤写多し。 また、現在確認できる活版本は以下の通り。 A版(家蔵)黄表紙和装本(内題)「賤のおたまき」(題箋なし) 序(明治17年3月)、跋(明治17年4月) 挿絵あり 大正5年2月に文教社から復刻版 B版(家蔵)黄表紙和装本(内題)「賤のおたまき 完」 序、跋、挿絵なし C版(国会図書館蔵、図書番号913.6/Si578)紙表紙洋装本(表紙)「賤のおたまき」 明治20年8月出版。東京精文堂。(翻刻人)高橋平三郎 序、跋なし 木版画風の挿絵あり
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 10:09 UTC 版)
玉葉和歌集には主に13の伝本がある。各伝本間には相違が見られるが、おおむね武雄市教育委員会蔵鍋島文庫本、宮内庁書陵部蔵禁裏本の系統と、宮内庁書陵部蔵飛鳥井雅章筆本、宮内庁書陵部蔵吉田兼右筆本の二系統に分かれる。各伝本を比較すると、撰集初期の形態の伝本であると考えられるのが武雄市教育委員会蔵鍋島文庫本、宮内庁書陵部蔵禁裏本の系統であり、整理、推敲の結果、最終的に宮内庁書陵部蔵飛鳥井雅章筆本、宮内庁書陵部蔵吉田兼右筆本の形態になったと考えられている。 玉葉和歌集は葉室光忠が後土御門天皇の命を受けて行った古典書写の一環として、文明11年(1479年)に書写され、室町将軍家が所蔵していた正本との照合作業も行った。葉室光忠が書写した本は禁裏官庫本と呼ばれ、江戸時代の寛文年間頃まで存在が確認されているが、その後の所在は不明である。宮内庁書陵部蔵吉田兼右筆本は禁裏官庫本を吉田兼右が天文19年(1550年)に書写したものであり、また宮内庁書陵部蔵飛鳥井雅章筆本は禁裏官庫本を飛鳥井雅章が明暦3年(1657年)から寛文3年(1663年)までの間に書写したものである。 飛鳥井雅章筆本、吉田兼右筆本とも、同一の禁裏官庫本を書写したものであるが、吉田兼右筆本の方が誤写や記入漏れと思われるミスが少ない善本とされており、整理、推敲の結果を踏まえた決定稿に近い形であると考えられることもあって、主に宮内庁書陵部蔵吉田兼右筆本が玉葉和歌集の底本として用いられている。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 05:50 UTC 版)
本書の伝本は少なく、以下のようなものが確認されているに過ぎない。 東北大学図書館蔵本 小松島公民館本 吉永文庫本 狩野文庫本(外題「源秘抄」)
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/12 20:38 UTC 版)
その性格上、一般に流通するものではなかったが、刊本のほかに数種の写本も伝わっている。内容はどれも基本的に同じである。阮朝宮廷に保管するもの以外に、フランス植民地政府の求めなどに応じて数次重版されている。日本では松本信広がフランス極東学院の助力を得てフエ宮廷と交渉し、既に刊本になっていた第6紀までを入手することに成功した。その縮印本が慶應義塾大学言語文化研究所から刊行されている。 ベトナムでは北ベトナムで1962から統一後の1978年にかけて第6紀までのベトナム語訳が出版され、21世紀に入ってから再刊されている。南ベトナムでも翻訳が古学院から出版されたが完成を見なかった。 第6紀附編と第7紀は1935年に完成・上進されたが、刊刻には付されず写本が6部作成されてフエ宮廷に収蔵された。戦後、南ベトナムの最高顧問府(長はゴー・ディン・ニュー)に移されたが、ゴー・ディン・ジェム殺害クーデター後の所在は不明である。 なお、『大南實録正編』という名で仏領期に広東で印刷されてベトナムで刊行された書籍がある。阮福暎の創業を扱ったものだが、これはコーチシナの華僑が祖先の功業(阮朝成立への貢献)を称えるために作った私撰の史書で、本項での『大南寔録』とは無関係である。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/08 23:06 UTC 版)
原本は筆者の宗二が所持していたのであり、それを自ら複写した転写本が諸方へ流布した。宗二が複数の弟子に書き与えたため、宗二自筆と認められる類本が十冊ほど現存している。なお、もともと外題が付けられていなかったため諸本の表題は一定しておらず、「瓢庵茶談」「珠光一紙目録」などの諸例が見られる。また『続群書類従』にも「茶器名物集」として収録されている。諸本は奥付の違いにより、天正16年の正月に書かれた「正月本」系統と同二月の「二月本」系統の二種類に大別される。 表千家の不審庵本は自筆本の一つとして評価が高く、岩波文庫「山上宗二記」に採録されている。ただし、類本に記載があって不審庵本に記載のない事項もあり、検討に際してはなるべく多くの類本を参照する必要がある。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/19 18:33 UTC 版)
草稿本系内閣文庫蔵本 志香須賀文庫本 精撰本系旧尊経閣文庫蔵本 文化庁蔵(東京国立博物館保管) 鎌倉時代 6帖 伝伏見院宸筆 重要文化財 この他、精撰本系の伝本は多いが、伝伏見院宸筆本以外の系統のものは巻の脱落が多いとされる。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/06 04:51 UTC 版)
原撰本と改編本の2種が現存する。今日に伝わる主な本は次の通りである。 図書寮本 宮内庁書陵部蔵。永保元年(1081年)から康和2年(1100年)頃に成立。原撰本のおもかげを残すが、「法」部の前半しか伝わらない零本(完全ではない本)である。字の説明には出典を略称を用いて付している。今では散佚してしまっている書が多く貴重であるが、略称から散佚している書を特定することが難しく、不明な点もある。 観智院本 天理図書館蔵。鎌倉時代末期の書写。原撰本を増補改編した系統の一本であり、今日において完本として伝わっている唯一の本である。「仏」「法」「僧」部がそれぞれ上中下に分かれ、「仏」の下はさらに「下本」「下末」に分かれている。 高山寺本 天理図書館蔵。表題は「三宝類字集」。改編本系。観智院本の「仏」部上および中の一部にあたる「巻上」のみ伝わる。 宝菩提院本。 東寺宝菩提院蔵。改編本系。零本。虫損がひどく判読困難な箇所が多い。観智院本の「仏」部下(第3冊、「舟」から「犬」までの10部)のみが伝わる。 蓮成院本。 鎮国守国神社蔵。改編本系。零本。観智院本の「仏」上の一部、「仏」中、「法」上の前半の一部、「僧」上の途中から「僧」中の「皮」「革」「韋」の3部を除くすべてと「僧」下が伝わる。雑部は観智院本とは体裁が大きく異なっており、雑部のはじめに雑部所収の部首を記した目次が付いている。また親字に付属する熟字類が、蓮成院本では分注式に細字で書かれており、観智院本とは異なる。さらに観智院本よりも文字の注文が増えており、観智院本よりも後に成った可能性が岡田希雄によって指摘されている。 西念寺本。 転写本は関西大学蔵。零本。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 00:00 UTC 版)
『枕草子』の成立についてはその跋文に、長徳2年(996年)のころ、左中将だった源経房が作者の家から持ち出して世上に広めたと記しているが、その後も絶えず加筆され、寛弘末年ごろに執筆されたとみられる文もある。『源氏物語』の古註『紫明抄』に引かれる『枕草子』の本文には現存本にないものもあり、複雑な成立過程を思わせる。現在、『枕草子』の伝本は以下の4系統が知られている。 三巻本(雑纂形態) 能因本(雑纂形態) 堺本(類纂形態) 前田本(類纂形態) これらも伝本間の相異はすこぶる大きく、たとえば「三巻本と能因本とでは、作者を別人とするしかないほどの違いがある」(石田穣二『鑑賞日本古典文学8』「枕草子」総説)という。 古典文学の本文校訂は、できる限り古い写本を底本(基準とする本文)に用いる。『枕草子』の伝本のなかで最古とされるのは前田本であるが、現在『枕草子』においては三巻本を底本としそれが読まれている。前田本の類纂形態の内容が作者の清少納言の手によるものではなく、後人の手によってまとめられたものとされているからである。堺本も同様の理由により、一般に読まれる本文として使われることはまずない。 能因本は江戸時代の古活字本に底本として利用されたことにより、『枕草子傍注』や『枕草子春曙抄』(北村季吟註)といった注釈書とセットになって近代まで『枕草子』の本文として主流を占めた。しかし大正14年(1925年)、三巻本系統の伝本(桂宮本)を底本とした『清少納言枕草子』が刊行されると、古活字本の本文に対する批判が起こる。さらに昭和3年(1928年)、池田亀鑑が「清少納言枕草子の異本に関する研究」と題した論文において各系統の伝本について紹介し、流布本(『春曙抄』本文)に対する安貞二年奥書本(三巻本)の優位性を唱えた。このとき三巻本が第一類と第二類の二つに分けられる。昭和10年(1935年)には楠道隆が堺本との比較により、三巻本の中で第一類の本文が第二類のものよりも純正であると評価した。 以後も能因本と三巻本との間で本文の優劣論争が繰り広げられた結果、三巻本は各系統の中でもっとも古態に近いとされ、能因本の本文は三巻本よりも劣るものとされている。これは堺本、前田本についても同様である。よって三巻本による本文が教科書にも採用されており、能因本、堺本、前田本による本文の出版は三巻本と比べてごく少数となっている。 ただしこれは『枕草子』に限らず、古い時代に成立した仮名の文学作品のほとんどについて言えることであるが、現在と違って本を作るのに人の手で書き写すしかなかった時代には、作者の手から離れた作品は書写を重ねるごとに誤写誤脱が加わり、また意図的に表現や内容を書き替えるということが普通に行われていた。現在、『枕草子』において善本とされる三巻本についても、作者とされる清少納言の原作から見れば幾度となく書写を繰り返した結果成立したものであり、その間に多くの改変の手が加わっていると考えられる。これは三巻本よりも本文の上で劣るとされている能因本や堺本、前田本も同様であるが、要するにいずれの系統の伝本であっても、書写の過程で本文に少なからぬ改変が加えられており、三巻本においてもそれは例外ではないということである。「個々の章段については、彼此優劣が錯綜していて、必ずしも常に三巻本本文が能因本本文に立ちまさっているとは断じ切れない」という意見もある。 以下、各系統の大略について述べる。
※この「伝本」の解説は、「枕草子」の解説の一部です。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 10:14 UTC 版)
「源氏物語年立 (一条兼良)」の記事における「伝本」の解説
写本には1巻仕立てと2巻仕立てがあり、2巻仕立ての場合には、桐壺から真木柱までと梅枝から夢浮橋までに分かれる。版本は2巻仕立てになっており、内容の分け方は2巻仕立ての写本の場合と同じである。
※この「伝本」の解説は、「源氏物語年立 (一条兼良)」の解説の一部です。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 15:48 UTC 版)
諸本は五巻本と三巻本系統に分かれる。三巻本は財団法人前田育徳会尊経閣文庫本のみである。五巻本は島原松平文庫本をはじめとして天理図書館本、国会図書館本、東北大学本、静嘉堂文庫本、実践女子大本の計六本が現存しているが、いずれも中間と末尾に大きな欠巻を持つ。 島原松平文庫本 近世初期~中期写か。肥前島原松平文庫蔵。国文学研究資料館電子資料館にてデジタル公開。袋綴。五巻。大本。 尊経閣文庫本 近世初期写か。前田育徳会蔵。袋綴。三巻。大本。
※この「伝本」の解説は、「夜半の寝覚」の解説の一部です。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 09:01 UTC 版)
『大和物語』の伝本は、藤原定家・藤原為家・藤原為氏らによって書写・校合されてきた二条家本系統と、藤原清輔・顕昭らがその著述の中に引用した六条家本系統に大別される。現行で一般に読まれている本文は二条家本系統のものである。 第一類:二条家本系統(一)為家本 - 尊経閣(前田家)蔵。京都大学国文学研究室本、京都大学図書館蔵本、武田祐吉本、木活字本、宮内庁書陵部蔵美濃判白茶色表紙袋綴本など。 (二)為氏本 - 小汀利得旧蔵酒井宇吉所蔵伝為氏筆本(池田亀鑑『古文学秘籍叢刊』)、筑波大学(旧・東京教育大学)蔵大永本(三条西家旧蔵逍遥叟本)など。 (三)定家本系(1)寛喜本系 - 文明十年藤原親長筆本の転写本、陽明文庫蔵本、松平文庫本、徳川家・蓬左文庫蔵本、飛鳥井雅俊本、三条西家旧蔵学習院大学本など。 (2)天福本系 - 厳島神社宮司野坂元定蔵本、大宰府神社蔵本、無窮会文庫本など。 (3)狩谷棭斎旧蔵本系 - 静嘉堂文庫蔵狩谷棭斎旧蔵本、京都大学国語国文学研究室所蔵近衛稙家筆本、大東急記念文庫本など。 (4)群書類従本系 - 群書類従本、古活字本、慶安元年版本、四天王寺宝蔵本(伝花山院自筆)など。 (5)北村季吟『大和物語抄』本系 - 北村季吟著『大和物語抄』(拾穂抄)、切臨著『大和物語首書』、賀茂真淵著『大和物語直解』、木崎雅興著『大和物語虚静抄』、井上文雄著『冠注大和物語』などの近世の注釈書の本文。 (6)京都大学国文学研究室本系 - 宮内庁書陵部蔵桂宮本、中川家旧蔵京都大学附属図書館所蔵本(中川家旧蔵京都大学本)、中院通勝筆細川家永青文庫本。本文は六条家本の影響を受けている。 第二類:六条家本系統(一)御巫本 - 御巫清三旧蔵姉小路基綱写 天理大学附属天理図書館所蔵。 (二)鈴鹿本 - 鈴鹿三七旧蔵愛媛大学図書館所蔵。 (三)勝命本 - 吉良義則旧蔵久曾神昇所蔵勝命本(しょうみょうぼん)と、田村専一郎・支子(くちなし)文庫旧蔵九州大学附属図書館支子文庫所蔵本。 「このものがたり本の差異おほし。六条家の本、二条家の本共ほか、あまたかはりはべり」(北村季吟『大和物語抄』、1653年刊) 「六条家本といふもの、あるよしなれど、いまだ見出侍らず」(木崎雅興『大和物語虚静抄』、1776年刊)
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伝本
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本書は奥書の有無と種類によっていくつかの伝本系統に分けることが出来る。本書は早くから写本が数多く作られてそれなりに広まっており、本居宣長は『源氏物語玉の小櫛』において、本書が主張している勧善懲悪説をかなりの量を裂いて批判しているなどしているものの、江戸時代には版本としては刊行されることはなく、明治時代になって国文註釈全書の一冊として初めて活字本として刊行された。初めて活字本として刊行された国文註釈全書が4巻4冊であったこと、及び本書の奥書に「本書はもと15冊であり、それを5冊にまとめ、さらに4冊にされた」と記されていることから4巻4冊が最も一般的な形態であるとされてきたが、現存する写本には1冊本から5冊本までさまざまなものがあり、妹尾好信は、国書総目録、古典籍総合目録、国文学研究資料館マイクロ資料目録、東海大学桃園文庫目録上巻等を元に以下のような現存する写本のリストを作成した上で、「2冊本が最も一般的な形ではないか」としている。 1 国会図書館蔵本A 1冊本 2 国会図書館蔵本B 2冊本 3 国会図書館蔵本C 2冊本 4 国立公文書館内閣文庫蔵本A 4冊本 5 国立公文書館内閣文庫蔵本B 3冊本 外題『源氏物語抜書』 6 国立公文書館内閣文庫蔵本C 2冊本の下巻のみ 7 静嘉堂文庫蔵本A 1冊本 8 静嘉堂文庫蔵本B 2冊本 9 静嘉堂文庫蔵本C 2冊本 10 宮内庁書陵部蔵本 3冊本 外題『熊沢先生源語評』 11 岡山大学附属図書館池田文庫蔵本 2冊本 12 京都大学蔵本A 1冊本 13 京都大学谷村文庫蔵本B 2巻2冊本 14 筑波大学附属図書館蔵本A 2冊本 15 筑波大学附属図書館蔵本B 2冊本 16 実践女子大学蔵本 17 ノートルダム清心女子大学黒川文庫蔵本 4冊本 18 東京大学蔵本A 2冊本 19 東京大学蔵本B 2冊本 20 東京大学蔵本C 1冊本 21 東京大学蔵本D 1冊本 22 東北大学蔵本 5巻2冊本 23 大阪大学蔵本 5冊本 24 秋田県立秋田図書館蔵本 4冊本 25 大阪府立中之島図書館石崎文庫蔵本 5冊本 26 岡山県立図書館蔵本2冊本 27 東京都立中央図書館東京誌料蔵本 2冊本 28 宮城県図書館伊達文庫蔵本 2冊本 29 岡山市立中央図書館蔵本 2冊本(もと3冊本の中巻を欠くもの) 30 刈谷市立図書館村上文庫蔵本 1冊本 31 豊橋市立図書館蔵本 32 尊経閣文庫蔵本 3冊本 外題『源語評』 33 正宗文庫蔵本 2巻5冊本 外題『源語外伝』 34 無窮会神習文庫蔵本A 2冊本 外題『源語外伝』 35 無窮会神習文庫蔵本B 1冊本 36 祐徳稲荷神社蔵本 1冊本 37 陽明文庫蔵本 5巻3冊本 38 旧彰考館文庫蔵本 2冊本 39 延岡内藤家蔵本 3冊本 外題『源語評』 40 国文学研究資料館初雁文庫蔵本 2冊本(もと3冊本の中巻を欠くもの)岡山市立中央図書館蔵本の新写本 41 新潟大学附属図書館佐野文庫蔵本 2冊本 外題『源語外伝』 42 今治市河野美術館蔵本 1冊本 43 弘前市立弘前図書館蔵本 1冊本 44 黒羽町作新館蔵本 3冊本 外題『源語評』 45 酒田市立光丘文庫蔵本 3冊本 46 永井義憲蔵本 1冊本 47 盛岡市立中央公民館蔵本 1冊本 48 佐賀県立図書館鍋島文庫蔵本A 1冊本 49 佐賀県立図書館鍋島文庫蔵本B 5冊本 50 東海大学図書館桃園文庫蔵本A 2巻2冊 51 東海大学図書館桃園文庫蔵本B 2巻1冊 52 東海大学図書館桃園文庫蔵本C 2冊 53 東海大学図書館桃園文庫蔵本D 2巻2冊 外題『源語外伝』 54 東海大学図書館桃園文庫蔵本E 2巻2冊 55 東海大学図書館桃園文庫蔵本F 3巻3冊 56 稲賀敬二旧蔵本A 2巻2冊 57 稲賀敬二旧蔵本B 2冊(もと4冊本の第1冊と第3冊と考えられる)
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 03:48 UTC 版)
本書の伝本は比較的少なく、わずかに以下のようなものが確認できるのみである。 天理図書館本 宮内庁書陵部本 神宮文庫本
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 09:03 UTC 版)
『新古今和歌集』の伝本については、その成立において長い期間にわたり改訂が施され、その途中の手控え本というべきものも書写されたことにより複数の系統がある。現在一般には、以下のように4つに分かれるとされている。 第一類 - 元久2年3月にいったん完成したとして奏覧されたもの。「竟宴本」と呼ばれる。 第二類 - 「竟宴本」をさらに「切り継ぎ」し、和歌を取捨する途中作業の本文を伝えるもの。 第三類 - 建保4年12月に「切り継ぎ」が終了したときの本文。 第四類 - 後鳥羽院が撰んだ「隠岐本」。仮名序の次に撰集し直した事情を語る後鳥羽院の序文(「隠岐本識語」)がある。 現在伝わっている伝本のほとんどは第二類本であり、現行で一般に読まれている本文もこれにあたる。ほかには第四類の上巻(巻第一から巻第十まで)が冷泉家時雨亭文庫に伝わる。このほかの系統の伝本については、第二類の伝本にある本文の校異によって内容が知られるのみで現存しない。第二類のおもな伝本としては以下のものがある。 寿本 - 京都女子大学所蔵。『新編国歌大観』底本。 小宮本 - 小宮富郎所蔵。『日本古典文学大系』(岩波書店)底本。 山崎宗艦筆本 - 筑波大学附属図書館所蔵。『日本古典文学全集』および『新編日本古典文学全集』(いずれも小学館)底本。 穂久邇文庫蔵本 - 穂久邇文庫所蔵。『岩波文庫』(1929年初版、岩波書店)底本。 伝冷泉為相筆本 - 国立歴史民俗博物館所蔵。『新日本古典文学大系』(岩波書店)底本。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/05 02:20 UTC 版)
「源氏物語青表紙河内本分別條々」の記事における「伝本」の解説
本書は、一般的には独立した形態での写本ではなく源氏物語の注釈書『源氏物語千鳥抄』や『帚木別註』の末尾に付随する形での伝本で知られており、両者は大筋で同じながら多少異なる部分をもっている。 千鳥抄附載本『源氏談義』(宮内庁書陵部蔵本)、『源氏御談義』(学習院大学国文研究室蔵本、東京博物館蔵本、徳島光慶図書館蔵本、九州大学付属図書館蔵本など)、『源氏物語御談義』(倉野憲司旧蔵本)、『千鳥』(東京大学文学部国語研究室所蔵本)などといった大津有一が「藤斎・龍翔院奥書本系統」と命名した系統の写本の末尾に付されている。これらの伝本には本書「源氏物語青表紙河内本分別條々」の他にも「河海抄与花鳥余情相遺事」、「後成恩寺三箇大事之外口伝条々」、「揚名介事」といった源氏物語の附いての短い注釈書がいくつか付されていることが多い。桐壺2ヶ所、帚木、空蝉、若紫、末摘花、紅葉賀、匂宮各1ヶ所の計8ヶ所について異文を掲げており、青表紙本の本文については「青表紙には」として記している。 帚木別註附載本桐壺二箇所、帚木、空蝉、若紫、紅葉賀、花宴の計7ヶ所について異文を掲げており、青表紙本の本文については「定家の本には」として記している。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/16 17:39 UTC 版)
現在確認されている正嘉本源氏物語古系図の伝本としては、以下の二つの写本が存在が確認されている。いずれも巻子一軸の形態を持つ源氏物語系図である。両写本ともに多少の欠落部分が存在するが、欠落部分が異なっているために互いを補って大部分を復元できる。もともと伝本の数そのものが少ない上に伝本間の異同が激しい源氏物語古系図において、このように近い系統の伝本が複数現存していることは比較的珍しいことである。 天理大学天理図書館所蔵本三井鉱山専務であった七海兵吉の旧蔵であり・のちに行方不明になったとされるが、現在は天理大学天理図書館の所蔵となっている。本写本が奥書通りの経緯によって成立した正嘉本の祖本であると考えられている。 東海大学桃園文庫蔵本池田亀鑑旧蔵本。翻刻が源氏物語大成に収録されているため「大成所収正嘉本」とも呼ばれている。現在は東海大学桃園文庫の所蔵。本写本は天理図書館蔵本を室町時代になってから書写した転写本であると考えられている。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/22 01:20 UTC 版)
いくつかの伝本が確認されているが表題も異なっているものが多く、内容の異なりも大小さまざまである。 「源氏小鏡」(稲賀敬二蔵本)稲賀敬二によって見いだされ同人の所蔵となったもの。増補されたと見られる部分を含む「広本系」とされる。 「源氏系図小鏡」(京都大学文学部蔵本) 「源氏物語注」(東京学芸大学脇本文庫蔵本) 「げんじのいけいづ付むらさきしきぶのけいづ」(篁園文庫蔵本) 「源氏物語中の人々」東海大学桃園文庫蔵本大島雅太郎蔵本の転写本とされる。 「源氏抄」「源氏物語のおこり」(源氏物語起筆伝説)などを加えた内容を持つ異本である。早稲田大学教授中村俊定旧蔵、現早稲田大学図書館蔵の江戸時代初期書写と見られる1写本のみが確認されている。 内閣文庫蔵本
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/31 14:10 UTC 版)
奈良時代の作例としては下記の5種が知られる。『過去現在因果経』は全4巻の経典であるが、絵因果経の場合は、各巻を「上・下」に分けた計8巻となっている。ただし、以下の奈良時代の諸本はいずれも1巻のみの残巻である。また、以下の諸本はそれぞれ画風や経文の書風が微妙に異なっており、別々のセットから1巻だけが残ったものと思われる。 京都・上品蓮台寺本(国宝、巻第二上) - 巻頭に「薬師寺」印がある。完本ではなく、巻末部分を欠失する。大原美術館本(24行、重要文化財)、奈良国立博物館本(62行、重要文化財)は上品蓮台寺本の欠失部分にあたる断簡である。 京都・醍醐寺(報恩院)本(国宝、巻第三上) - 巻三上の全体を残す完本。 旧益田家本(巻第四上) - 巻第四上のうち10紙分が残っていたことから、「益田家十紙本」と通称される。MOA美術館に84行分(重要文化財)が残るほか、五島美術館(24行)、東京国立博物館(18行)、米国の個人コレクション(10行)、MIHO MUSEUM(25行)などに断簡として分蔵されている。 東京芸術大学本(国宝、巻第四下) - 巻頭に興福寺伝法院伝来を意味する「興福伝法」印がある。上品蓮台寺本、醍醐寺本よりはやや年代の下る作品とみなされている。本巻の一部は断簡として湯木美術館(15行、掛幅装)、五島美術館(5行、写経手鑑「染紙帖」所収)、MOA美術館(4行、手鑑「翰墨城」所収)等に所蔵される。 東京・出光美術館本(重要文化財、巻第三上) - 益田家旧蔵だが、上記「益田家十紙本」とは別本。巻三上の全体を残す完本である。巻頭に「興福伝法」印があるが、上記芸大本とは別本である。 平安時代以降の作例としては以下のものが知られる。 愛知・聖徳寺本(重要文化財) - 巻第二上の断簡。平安時代後期作。絵は彩色でなく白描(線描本位の墨画)である。 根津美術館・大東急記念文庫本(各重要文化財) - 根津本は巻第二下、大東急記念文庫本は巻第三下。建長6年(1254年)、慶忍と聖衆丸の作。 旧松永家本 - 福岡市美術館蔵。巻第三上。鎌倉時代。 旧勝利寺本 - 巻第三上。鎌倉時代。断簡として各所に分蔵される。
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伝本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/12 04:14 UTC 版)
伝本には3系統がある。 改訂前の系統:高松宮旧蔵本(『新編国歌大観』底本) 等 改訂後の系統:書陵部蔵桂宮本 等 改訂前・改訂後の両方を含む混態本
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