伝本とこれまでの研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/15 02:39 UTC 版)
「為兼卿和歌抄」の記事における「伝本とこれまでの研究」の解説
為兼卿和歌抄は、明治40年(1907年)、福井久蔵によって宮内省図書寮の蔵書内から発見された。大正5年(1916年)、福井は珍書同好会から為兼卿和歌抄を刊行し、その後昭和9年(1934年)には、岩波文庫から刊行された『中世歌論集』の中でも紹介されるなど、その存在は徐々に知れ渡るようになった。 戦前は宮内省図書寮から発見されたものが唯一の伝本とされてきたが、戦後になって近衛家伝来の文書等を所蔵した陽明文庫から新たな伝本が見いだされた。陽明文庫の伝本は宮内省図書寮の伝本と極めて近い内容であり、書写時期は江戸時代前期のほぼ同時期と考えられる。続いて門跡寺院である聖護院の蔵本から3つ目の伝本が見いだされた。聖護院の伝本も系統的には宮内省図書寮、陽明文庫の伝本と同一であると考えられ、書写時期もやはり江戸前期と考えられている。これら3つの伝本には、原本から書写を繰り返されるうちに発生した転記漏れや間違いによるものと考えられる、文意が通らない箇所が相当数ある。 その後、為兼卿和歌抄の著者、京極為兼と同じく御子左家の流れを汲む冷泉家(上冷泉家)所蔵の古典籍などを所蔵した冷泉家時雨亭文庫に、第四の伝本の存在が確認された。冷泉家時雨亭文庫の伝本は後半約四分の一が欠けており、また虫食いが多く判読不能の箇所も目立つが、書写時期が他の三つの伝本と異なり室町時代中期と古いものであると見られ、文章的にも他の伝本よりも優れており、これまで意味が通らなかった部分の多くを訂正することが可能となった。 先述のように近代になって京極派の再評価が進む中、為兼卿和歌抄の研究も進んだ。早くは京極派の再評価に積極的であった折口信夫、土岐善麿らによる研究が注目されるが、その後京極為兼と仏教思想との関連について等の研究が深められ、岩佐美代子、藤平春男、福田秀一らが研究を進めてきた。
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