伝来と江戸時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 00:02 UTC 版)
「東郷文弥節人形浄瑠璃」の記事における「伝来と江戸時代」の解説
「東郷町郷土史」によれば元禄元年(1698年)の参勤交代の際に東郷の武士が江戸より文弥節の師匠を連れ帰り東郷に人形浄瑠璃を広めたとされている。この人形浄瑠璃が斧淵で広まったものが東郷文弥節人形浄瑠璃となった。 ただし、文弥節の由来については前述の元禄元年(1698年)説の他に、寛永10年(1670年)に上方から伝来した説、南瀬村(現在の東郷町南瀬)から伝来したという説がある。南瀬村からの伝来について上村・野中(2014)では「斧渕で人形浄瑠璃が断絶かけた際に南瀬からの刺激によって復活したことを物語るものと位置付けてよいではないだろうか」として伝来の説ではなく断絶しかけた時に復活したときの話であろうとしている。 江戸時代には世襲制であり斧淵三ヶ郷と呼ばれる城内・谷之口・小路の3集落の若衆の間で伝承され、神社への奉納や結婚式、集落の行事などでよく演じられた。
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